埼玉県民の小さなアイデンティティの問題

以下の文章は,僕のアイデンティティ意識が揺らいでいるということをまとめた文章である.だけれども,僕の出生は特別にドラマチックでも何でもない.さらに特に結論や教訓めいたものはない.昔考えた「場所」の問題の続きでもあるかもしれない(文章が若い!)

僕は埼玉県に住んでいるが,埼玉県に帰属意識なるものを今現在一切感じていない.むしろ僕は埼玉県というところが大嫌いである.godforsakenという単語は埼玉県のためにある物だと結構本気で信じている.僕はそれゆえどこに帰属意識を感じればいいのかよくわからないでいる.

簡単に自分の出自について書いておく.僕は東京の世田谷区で産まれて,産まれて1年半くらいまでそこに住んでいた.祖父母が世田谷に住んでいて,アパートまで持っていて,そこを間借りして住んでいた.この頃の記憶はほぼなく,写真で見るばかりである.そののちに両親が埼玉県南部の大きな駅からバスに乗って20分くらいのところに家を買って引っ越した.小学校は公立の小学校に通い,中学から都内の中高一貫の学校に通い,大学も大学院も東京である.東京大学という名前からは東京にあることしか情報がない.大学入ってからは断続的に東京,チューリヒ,ロンドンへ引っ越しをした.大学には都合7年いてそろそろ修了予定だが,3年半はこれらの場所,3年半は埼玉県に住んでいた.

大学に入るまで「実家」というのは親の実家を意味していたように思っていたし,なんとなく親近感みたいなのを持っていたので,両親の実家について記述しておく.父親は新潟出身で,大学から東京に来た.父方の祖父は新潟で公務員をしていたらしい.母親は東京出身で,母方の祖父は山梨の地主出身であるが,次男であったために地元ではなく東京で暮らしている.新潟と東京には埼玉と違うアイデンティティみたいなのを感じていたが,今はその感情はもうない.(東京に関して言えば,別の考え方に置き換わったというのが正しい.)

自分のアイデンティティ意識は高校3年生のあるときまでは確実に「埼玉」であったように思う.「どこ出身なの?」って聞かれたら「埼玉」と答えていた.高校3年生のとき,割と多くの東大に合格するであろう高校生が経験することであると思うが,模擬試験に成績優秀者として名前が載った.今はどうか知らないが,一部の東大受験生用の模擬試験は,A判定(それも東大の定員の半分くらいに出たように記憶している)を取ると名前が載る.普通の模擬試験ではこの程度では名前は載らないように記憶している.その名前の横には,自分の高校の名前と「都道府県」という欄があった.自分の名前の横には,自分が通っていた高校の名前と,その横に「東京」と書いてあった.この都道府県というのは,自分の高校の所在が書かれたものである.これを見て「へぇ,自分は東京出身なんだ」と少なからずショックを受けた覚えがあるし,それ以来「東京出身」と名乗ることにしている.

それから大学に上がって,キャンパスも埼玉県から遠くなったので,大学1,2年の間は祖父の好意で自分が産まれたときに住んでいたアパートに住まわせてもらった.この時,「ここで産まれたんだなぁ」という意識をもって暮らしていたように思う.これはアイデンティティという観点から結構特殊な経験だったように思う.さらに,いろんな物事が10km圏内で完結していたので,そこそこ快適だったと覚えている.大学3年生のときに,埼玉県に戻った.キャンパスが実家に近くなって,経済的観点から特に一人暮らしを続けるメリットが見いだせなくなったからである.このとき,最初に感じたことは「不便だなぁ,生活は東京にあるのに,なんでわざわざ長い時間かけて行ったり帰ったりしなければならないんだろう?」と思った.そのとき思っていたことはこの記事が別の観点から説明している.この時以来,割と明確に埼玉県が嫌いになったように思う.自分の生活がある場所と家がある場所がねじれている感じが気に食わなかった.

ここまでは,ただ「埼玉県が不便で気に食わないと思っている人」くらいで済むのだが,その後外国に引っ越してから,この生い立ちがアイデンティティの問題へと化けた気がする,僕が最初に住んでいたスイスという国にはいろんなアイデンティティの人が集まっていて,みんなそれときちんと向き合っていた,少なくとも傍目からはそう思う.ある程度のアイデンティティの複雑さを持ったほうが整理しやすいのか,「親は○○出身で,自分はどこそこ生まれ.で,自分はどこそこにアイデンティティを感じている」という人が多かった,そういう連中に「お前はどこから来たんだ?」とよく聞かれたことから「俺はどこから来たんだろうな?」とアイデンティティの問題をよく考えるようになった.

基本的には,認識としては今は自分は東京出身だと思っている.「お前はどこから来たんだ?」という質問に対しては,「日本」と答えているし「日本のどこだ」と聞かれたら「東京」と答えてはいたし,いまも答えている.小学校は埼玉県のに通っていたが,今はもう埼玉県土着の友人と呼べる人はほぼいない.中学・高校の友人で埼玉県に住んでいる人は「東京の友人だが偶然住んでいる県が同じ」くらいの認識である.それに比べて,だいたい物心ついてからの出来事は東京で起こっている.友人と呼べる人はほぼ東京で出会った人だし,僕に衝撃を与えた出来事は埼玉県ではなくて東京で起こっている.埼玉県はただ「偶然家がある」だけの場所である.

自分の認識としてのアイデンティティは「東京」にあるのだけど.自分の中に自分のアイデンティティを示す特有の物,例えばアクセントだとか目をつむって浮かべる光景だとかが何一つとしてないことに気付いた所から,アイデンティティの問題が始まっているように思う.よく僕の日本語は「アクセントに癖がない」と言われているし,僕自身も標準アクセントをしゃべっているという認識を持っている.地方出身の人が他の地方出身の人と話すときに標準語を使い,同じ地方の人と話すときには地元のアクセントを使っているという話を聞いて衝撃を受けた.僕にはそういうバイリンガル的な物事の扱いをする経験がない.また,何かしら目をつむって浮かべる光景もない.よく他の国の人と話すと「これはtypicalな光景だ」みたいな話をしているが,僕にはそういう意識が全くない.僕は物としてのアイデンティティを一切持っていない.

物としてのアイデンティティを一切持ってないとなると,一個アイデンティティの抽象度をあげた「国」というものと自分を結びつけるものもなくなることに気付いた.他の国の人に「お前の国には何があるんだ?」と聞かれても,何を述べていいのかわからなくなる.もちろん観光ガイドに載っているような答えはできる.富士山だとか,桜だとか,渋谷のスクランブル交差点だとか,新宿の大ガード下とか.でも,何一つとして自分の身を切ったものではないように思う.僕は概念としてこれらが日本っぽいことを知っているが,これらは僕とは一つ離れたところに存在しているように思う.

では僕が自分の認識が揺らいだときに,それでもなお日本出身だと確信を持てる要素はどこに存在しているのだろうか,という疑問が出てくる.未だにこれに答えられていない.日本語なんだろうか,それとも僕の行動様式なんだろうか.よくわかっていない.

この質問に答えることに失敗しているのは,僕に土着愛が足りないことが大きな原因のうちの一つだと思っている.埼玉県も東京も僕のことを救ってくれない.自分の子供にはきちんとアイデンティティの意識が育めるような環境を用意してやりたいと考えている.

この話は,人に伝えようとするたびにどうでもいいようにあしらわれる.親にさえあしらわれる.妹にさえ「どうでもいい」と言われる.ちなみに親も妹でさえも僕とは違うアイデンティティを多分持っているということに少し絶望した.それ以来きちんと考えをまとめていなかったが,とりあえずまとめてみた.もしこのようなことで同じような悩みを持っている人がいて,その人に届いたら幸せなことこの上ない.