喪失感の話

僕の祖父が12月に亡くなった.今のところこの事実をどうとらえていいのかよくわかっていない.ある程度大人になってから親族を亡くしたのは初めてで,どうとらえていいのかよくわかっていない.いくつか整理を目的として文章を綴る.

祖父は結構長生きしたと思う.84歳.日本人の平均寿命が80歳強であることを考えると,長く生きたんだと思う.秋に持病の肺をやられて,もともと体が弱っていたのもあって,先週の木曜日に亡くなってしまった.一回11月の初め頃にお見舞いに行ったときにはもう生きることに投げやりであった気がする.とはいっても,死の一番の原因は老衰だと思うし,話聞く限りでは,眠るように天寿を全うしたらしい.

祖父は死を明確に意識してかしてないのかわからないが,自分の葬式の準備を入念にしていたらしい.もともとケチなのもあってか,葬儀はとにかく簡素かつ安くしたがっていて,複数の業者に見積もりを取らせては家に呼びつけていたらしい.遺影に使う写真も自分で撮りに行っていたという(そして多分証明写真の機械で撮ったんだと思う.).遺産の分配も遺書を何度も書き直していたらしい.とは言っても,厳格な祖父というよりかは,ただただエクストリームな行動を突然するタイプで,納得がいかないと気が済まないタイプの祖父らしいといえば祖父らしい.

そういう祖父なので,逸話が絶えない.昨日も今日も在りし日の祖父の話がいろいろ出てくる.そうやってなんとなく故人の話をするのが,死を受け入れることなのかなとも思うし,故人を偲ぶということなのかなと思う.

お寺で葬儀をあげた.住職は叔父の高校の同級生の方で,よく顔もしっている方だった.住職がお経を唱えている間,この儀式は本当に祖父に向けられた物なのだろうかという疑念にかられた.そして,多分違うんだと思うに至った.死という漠然とした物に対して,具体的な説明を与え,手続きを見せたり手間をかけることによって,親しかった人の死を受容するプロセスなのかなと思うようになった.今はあまり死は身近にはないけれど,その昔に町中のどこでも葬儀をやっていたのなら,宗教も身近によりそって,他人の死を具体的にイメージし,受け入れられるようにすることによって,救っているのかなと思っている.僕は敬虔な仏教信者ではないにせよ,三途の川を渡るだのなんなのという話を聞くことに寄って,そういう世界の捉え方もありなのかなと思うようになっている.ただ,あの独特の鐘を鳴らす音などは,死をイメージして他の人が聞けばどことなく薄気味悪いんだとは思う.

残った身として,祖父の死を受け入れるわけなのだが,実際に受け入れているのか,忘れているのか区別がつかない.忘れることが悪いこととも思わないが,実際になんとなくもう祖父が他界してしまった事実が遠く感じてしまっていることに対して,罪悪感がある.一方で,残った身は現世で結構忙しいので,ずっと亡くなってしまった人の影みたいなのにとらわれ続けるわけにはいかない.前に「たまに思い出す」というのが死者とのつきあい方なのかなとある機会に思ったが,もう一度その結論にいたりつつある.


死は穢れなのかという疑問がわいた.周りには話題として一切触れられず,避けられている.職場で「忌引」というメールを出しただけで,「お休みします」と口で言うと「わかってるから」とそれ以上触れない.必要以上に休みも取れたので,多分相当に気を使われているのはすごくよくわかる.一方で,口にしてはならない,ということもあまりないとも思う.触れにくいのはわかる一方で,生きたときにどういう人であったかを時々でも思ってやることこそが,死を受け入れるプロセスでもあるし,故人に対してのいたわりでもあると思っている.受け入れるプロセスに,故人の在りし日の話や,今の心持ちなどの共有というのは必要で,今のところそこがまるっと抜け落ちているから,僕は文章を綴っているんだと思う.

幸いにもあと二日休みである.ぼんやりと物事を一つづつ整理して,受け入れて行きたい.

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祖父が亡くなって割とすぐに、自分の中の整理の意味もあってこの文章をまとめた。今日大学1年2年の時に住んでいた祖父が所有していたアパートのことをふっと思い出して、そこから祖父が嬉しそうに孫のためにあれこれアパートのリフォームしてたなぁと思い出すうちに、祖父のことを思い出してこみ上げてくるものがあった。ふっとこうやって整理した時の文章が出てきて、読み返してみると、たまに思い出すことが死者との付き合いなのかな、という言及などに救われる部分もあった。この一際個人的な文章が、もし誰かの救いになればと思って公開する。