12月:言葉と間借りの話 居候の言葉としての英語

スイスは国の中で4カ国語話されており…という教科書的な説明はさておいて,こと僕の住んでいるチューリッヒでは,母語であるドイツ語に加えて,フランス語イタリア語が通じるかは試したことないが広く英語が通じる.大学教授はもちろんのこと,スーパーのおばちゃんやら市役所のおばちゃんまでわりかし広く英語が通じる.僕も生活言語が英語になりつつあるし,今のところ何も困っていない.

僕のドイツ語に関して言えば,その昔ドイツ語をかじっていたのだけど,結局ものにならないまま終わってしまった.やり直そうかと思って文法書やらなにやらを持って来たのだけど,こっちに遅れて来た関係で外国人向けドイツ語の授業はどれも満員,自分でやろうにも時間もない.もともとドイツ語は偶然の重なりで始めたもので特別な動機付けがなかったことも相まって,結局ドイツ語を勉強し直す機会がなくなってしまった.大学の授業は外国人が割に普通にいるので英語で行われていて,友達とも英語で会話することになる.ここでわざわざ俺のできないドイツ語を出す必要はどこにもないし,ただでさえ英語でも言いたいことがいえないのだから,さらに不自由な言語を出すつもりもない.じゃあ街で話せばいいじゃん,となるのだけどそうもいかない.わざわざドイツ語がよく分からない俺がドイツ語を使うと混乱するし,結局最後複雑なことを言おうとすると英語になる.相手も英語で十分に通じるし,本当にいざという時以外はだいたいこれで済む.さらに言えば,英語も別に彼らにとってはネイティブ言語ではないから,わからないということもあまりおこらない.たとえ英語のミスコミュニケーションが起こっても,そのこと自体にはとても寛容である.

外国に住んでいるのにこの上なく快適だなーと思うことがことスイスでは多い.そしてそれが来た時から違和感としてあって,だんだん表に出て来た.今まで旅行して来た外国というのは,僕にとってだいたいが苦労の集積だった気がする.どこいっても何も通じないから,仕方なく地球の歩き方ロンリープラネットの後ろの方についている言葉の便利帳みたいなのを移動時間でしこしこ覚え,ボディーランゲージやらを駆使しながら現地の人とやりとりする,というのがだいたいの僕の旅行の記憶であった.それゆえに,外国で住むというのは,そういう苦労と一緒になってやってくるものだと思っていたのだが,スイスではこれとは全く違っていた.

スイスでは英語が通じるから,ついつい甘えて英語で話す.ただ,このままだと本当に深いところでスイスの人とは友達になれないかもなーという疑念が生じている.僕はグループワークの授業のパートナーがスイス人であることが多かったのだけど,彼らはとても流暢に(僕以上に流暢に)英語を話す.だけど,僕が議論からドロップアウトしたり,雑談が始まるとドイツ語になる.こうなるととたんに分からない.彼らはさっき英語で議論していたより心地良さそうだ.それを破ってまで,わざわざ英語にして俺を加える意味がどこにあるのだろうと自分でも考えてしまう.ドイツ語が話せないがゆえに,最後の一枚の布みたいなのがとても厚いなーと感じる機会がとても多い.その布の向こうには何があるのかは今のところ知る術もないのだけど.

そういうわけで,いつも使っているはずの英語って何だろうな,何の役に立ってるんだろうなってたまに思う.地図をよく見ると,英語を母語とする国は割に少ないことがわかる.その割に,リンガフランカとしての性格が強い.英語を話せば世界中の人とコミュニケーションがとれる…というと大上段に構え過ぎだろうけど,それに近いことを日本で思っていたことを記憶しているし,そう信じている人や吹聴している人が多かったように記憶している.だけど,これは,ごく控えめにいってただの思い上がりであることが最近になって感じられてきている.

この間モロッコに行って来た.モロッコでは,母語アラビア語だが,学校教育がフランス語で行われているらしく,広くフランス語が通じる.彼らにとっての第一外国語は,ちょうど日本人の英語がそうであるように,フランス語である.なので,街中の客引きも「お前フランス語話すか?」とフランス語で聞いて来たり,当たり前のように外国人だからという理由でフランス語で話しかけていたりする.英語で話しかけてきたとしても,こっちがちょっと複雑なことを言うと「ごめんごめん俺英語苦手なんだ,フランス語ならできるんだけどね」くらいのことを言われてがっくり肩を落とす.同行していた友人がフランス語を話す人だったので,もう最後は彼に任せっきりだった,ごめんね.

このことから分かったことは,英語を話せば…は半分くらいはただの幻想であるということだ.彼らの半分くらいは外国人を見かけたらフランス語で話しかければよいということを心底信じている.英語がちょっと話せる人でも,途中であきらめる.英語は,別にそれで何かを伝えたいわけでもなんでもなく,ただのツールにつきている.いろんなものから独立した,無色の言語であることが大半だなぁと感じた.

かといって,英語が裏にある文化と全くひっついてないわけでもないのだなぁ,と思う機会も多い.英語の勉強がてらアメリカのホームコメディを見ているのだけど,アメリカのスラングをいったり,アメリカ人しかわからないネタが所どころに落ちている.こうなると,もはやアメリカ語ともいいたくなるような会話がそこには繰り広げられている.しかし,これらを「あぁ面白いなぁ」と思って謙虚になって学び取ったところで,僕のスイスでの生活に還元したとしても通じず終わる.凝った言い回しをしたところで「えっ」ってなるのは目に見えているし,何より(当たり前だけど)スイスの文化はアメリカの文化ではない.アメリカ語はアメリカ語にすぎないし,アメリカとその言語を盲信したところで,それより広い世界では通じない.世界の人と話せるだのグローバルだのという触れ込みで学んだはずの英語が通じない様を見て,なんとも不思議な気分になっている.

今僕がおかれている状況は,居候の言語としての英語なんだろうと思う.英語圏でない国で,英語を使って生活しているということは,かなり傍若無人な振る舞いだなーと最近になって思う.この国の隅っこに間借りしながら英語を使って生活しているわけなんだけど,その代償は,結局のところスイス人とそれ以外の埋めにくい差となって出てくるように最近思う.そしてストレンジャーストレンジャーのままでしかいられない気分がしている.この埋められない差を前にして,外国で暮らしているってどういうことなんだっけか,と最近になってまた思うようになっていながら,今日も選択の余地がないかのように英語をしこしこ勉強している.

時間があって,もう少し英語がちゃんとできるようになったら,英語圏の国に旅行に行きたいなと海外旅行を人並みに繰り返した末に思うようになってきている.

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このブログからシリーズで書き出したスイス見聞録シリーズの続き.もう4年前の文章の続きを投稿しようとしている笑.というより,Evernoteをあさっていたら出てきて,自分で言うのもなんだけど,面白かったというか昔はものを真剣に考えていたんだなぁと感心してしまったので投稿笑.

このときは真剣に上にあげたことに悩んでいた.この後,結局この文章であげている英語圏への関わりが多くなった.イギリスに住むことになり,今はアメリカ企業で働きアメリカに行くことが多くなった.スイスにいたときにすこしかじったアメリカ文化風知識は,なんとなく活きているものの,今はいい意味でも悪い意味でも英語を使うことにいろんな意味で抵抗がなくなり,真剣に何か言語について考えることがなくなってしまっている.

この文章で論じていたような,文化のすれ違いやねじれを気にしなくてもいいのは,一つのアドバンテージというか,物事の面倒な部分を一つ飛ばしてくれていると思う.イギリスに住んでいたときは,きちんと彼らのネイティブ言語でいろいろ触れられたこともあって,一つ一つアクセントの違いや,文化などに触れることに上で感じたような歯痒さを感じなかったことに,スイスとの大きな違いを感じていた.一方で,最近はアメリカに行くことが多くなったものの,上のような着眼点を自分では何も思わなくなってしまっている.これはただ旅行者として眺めるだけだからなのかアメリカだからなのかは,わかっていない.ただ,真剣に考えなくなってしまったのは事実で,隙間に落ちた物はたくさんあるような気はしている,