SR サイタマノラッパー2

さっき更新したサイタマノラッパーの続編。


次は、舞台を埼玉県ではなくて群馬県に移す。
主人公は、こんにゃく屋の娘あゆむ。
高校生の時にやっていたラップ集団B-hackをもう一回やりたい、
といってメンバーを再び集めるところから始まる。
5人いて、3人27歳、2人25歳。全員女。


メンバーは集まって、もう一回ライブをすることになった。
そのための資金が100万。それを稼ぐことにする。
一回プールでライブをやる。
しかししょっぱい。メンバー内に亀裂が走る。

25歳の二人は「私たちまだ未来ありますからね、こんなことに付き合ってられない」
とはいて捨てて去っていく。


27歳の二人も借金背負わされる、望まない妊娠してしまう、などメンバーが中心から離れていく。


何にも残されていないまあゆむは、毎日こんにゃくを洗う生活に逆戻り。
するべきことも、したいこともない。


そんな中、あゆむのお母さんの3回忌がくる。
このお母さんは、唯一B-hackを応援してくれた人。


そんなところに、SHO-GUNGのIKKUとTOMがやってきてラップを仕掛ける。
そこにB-hackのメンバーも混じってラップを仕掛ける。

「もう終わり」と紡ぎ出すあゆむ。


またこんにゃく屋の日常に戻っていくも、最後お父さんが何気なくラップを唱えてしまうところで終わる。

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また来ましたね袋小路映画、といった感想。
群馬県という閉塞感の象徴(東京との対照で話が進んでいく)で、どこにも行けない毎日を過ごす。
日々、明日生きるための手段を講じることで精いっぱい。
そんななか、ラップをもう一度やろうと躍起になる。


「やりたい」drivenではもうどうにもならない年齢になっていることを突きつけられる。
どこに向かうわけでもないB-hackは、どこにも行けないイライラを中に募らせ、空中分解する。
「まだ若いから」と突きつける25歳の二人も、焦りを隠せない。


前作と違うのは、
SHO-GUNGが野望をラップのうちに見ていたのとは対照的に、
とりあえずB-hackがやりたい、といって動かされているところだろうか。
日常からの解放の活路を見出したと思いきや、すぐつぶれてしまう。
何がしたい、という目的意識はもっと別にあれど、そこへも向かっていない5人組。
何も進展していないし、進展する気配も日常のどこにも落ちていない。


正直何も進まないし、大団円でもない。
やっぱり書きたいものは、閉塞感なんだろうな。


多くの人が明日生きることに精いっぱいだと思う。
イライラはすれど、明日が平和でありますように、と願う毎日。
いつの間に夢を追わなくなったのだろうか。
調理師免許?ワールドワイドのホテル?
諦めてない、と口に出せど、何か違う。


そんな中、それでもこうしたい、と言葉に出す、表現する。
しかもそれがラップという形で。
現状と夢の違いを受け入れる。
でも形にする。そんなラップ。

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最後なんであゆむの親父さんがラップしたんだろうか。
B-hackを認めてなかったものを認め出した、ととらえるのはいささか乱暴すぎる。


どんづまりの日常の変化をすこし書いたんじゃないかな、というのが僕の思うところ。
昨日と変わらない今日、そしてきっと変わらない明日。
そんな無限の袋小路の中に、ささやかな変化を生みだしたのがこの一連のストーリー。
そこに、どこにも向かっていなかったように見えたB-hackの意味を監督が生んであげたんじゃないだろうか。
別に大きなステージで成功するわけでも、夢に向かって歩き出すわけでもない。
ただ昨日と違う今日。それが訪れた。
袋小路に少しだけ日がさしたB-hackのラップ。
それだけで、もがき、苦しむ意味はあったんじゃないだろうか。

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思うに、こんな人生を学生のうちから想像している人は少ない。
特に、東大だとそう。

そんな人に、見てほしい。
今日と違う明日は、無条件に訪れるものじゃない。


「みんなそうやっていきている」というのは親父さんの言葉だけど、
そういう人生が大半を占めることを心にとめなければならない。