SR サイタマノラッパー
- 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
- 発売日: 2010/05/28
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ストーリーとしては、
埼玉県からラッパーになろうとする主人公。
AV女優上がりの高校の同級生に馬鹿にされーの、ラップを一緒にやってた連中から馬鹿にされーのしつつ、結局自分の手元に何もないけれど夢はあきらめない、みたいな。
すげー簡単な説明だけど。
なんか、いろいろ袋小路な主人公の様がうまーく描かれていたな、っていう印象。
どうしても、大きな、たとえば一年後とかに9時くらいから地上波でやってしまうような映画って、全体が丸く終わっている印象があるんだけど、そういう映画じゃない強みがすごく出ている。
結局、自分は何も持ってない、ってことに気づくようなストーリー。
多かれ少なかれ、いろんな人がこういう状況なんじゃないかなーなんて邪推したり。
少なくとも俺はそう。
結局、なんなの?という問いには一切答えられない。
彼ら(サイタマノラッパーの主人公とサブ主人公)の場合、ラッパーという向かうべき場所はあれど、講じる手段がない。
そして何もであるかを求められるラッパーという象徴に対して、自身でも答えが出せないでいる。
印象的だったのは
「なんかこう最近理不尽なことない?歌詞になりそうなことがねーよ」
「いや書きたいことかいたらいいんじゃないですか?」
というくだりがあった。
この理不尽なこと、のくだりはわりといろいろあって、主人公としては、政治、あるいは国際問題とかスケールの大きなことを書こうとしているものの、書けない。
書けない、ということは、書くべきことをもってないということ。
そんなくだりからも察せる、自分は何者でもない袋小路をさまよう様。
結局最後には、SHO-GUNG(主人公が所属していたラップ集団)はほぼ解散。
主人公はニートだったところから、定食屋でバイトを始めることにする。
サブ主人公(相方的存在)は工事現場のバイトでその定食屋に仲間で訪れる。
そんなんでいいのかよ貴様!といったラップを主人公が繰り広げて、サブ主人公が振り向いたところで終わる。
いやー……この終わり方好き。映画として。
何かでっかいイベント起こして終わるのかな、と思いきや、こういう終わり方をするのね、って思った。
何もないけど、一歩踏み出そうとする。そんな終わり。
袋小路の中でもがき苦しむ様、でなんとなく終わる。
たぶん、このもがき苦しんでいるさまが言いたいことなんじゃないかな、って踏んでいる。
特筆すべきは、最後、自発的に「何もない自分」から始まるラップを唱えたところ。
語るべき言葉を持たなかった主人公が、こうして語るべき言葉、
それは自分が何者でもないということだけど、それを紡ぎだした、
自分の腹の底から出てきたラップをする、
という終わり方。
彼らはラップで遠くに行きたいと考えている。
しかし、それが実らない。手元に何もない。
自分に翻らせて考えてみるに、自分にはどこか遠くへ行く手段があるのだろうか。
そう考えた時に、そんなものは持ち合わせていないことに気づく。
いや、そんな事には気づいている、あるいはうすうす勘付いてはいるんだけど、見て見ぬふりをしている。
こういうサイタマノラッパーみたいに表面化してないだけで。
結局おまえ何なの、という残酷な自問自答を始めてみる。
そんないろんな人の「何物にもなれない」あるいは「何物でもない」というのを、うまく投影しているのかな、と思う。