レクイエム
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これを撮った監督は、Oliver Hilschbiegelというドイツの映画監督。
実験室KR-13のときにも書いたけど、
最初はサイコホラーっぽいものから、極限状態の人間心理を描こうとした監督。
社会派でもあるのかな。
実は日本ではそんなに人気はない?監督かも。
僕は好きなんですが。
さて、極限状態の人間心理とは違うものだけど、
描こうとしたものは人間心理。
北アイルランドの紛争を描いたもの。
1970年代、そこは日常的にテロがや殺人が行われているようなところだった。
当時17歳だったアリスターもその一員。
組織に属して、敵と戦っていた。
そんななか、自分の家を出て行けと言われた。
その報復に殺人を企て、実行した。
その時に、その殺人を見ていた少年がいた。ジョーだ。
ジョーは目の前で、自分の兄貴がアリスターに銃殺されるところを見せられた。
ジョーはそれ以降、母親に責められ続けることになる。
あんた止められたかもしれないのになにやっているの。
33年間、その意識はどこにいっても消えない。
ジョーにテレビ番組のオファーが来る。
33年ぶりに、自分の人生を狂わせた殺人犯と対談しよう、という話だ。
33年間、「復讐」の気持ちに燃えていたジョー。
殺す気で対談に臨む。
しかしながら、ひよってしまい、結局家に帰ってしまうジョー。
アリスターはアリスターで、33年間罪の意識が消えない。
頭の中にいつも出てくるのは当時のジョー。
アリスターはジョーに手紙を出すことにした。
会いたい、と。
そして、アリスターがジョーの兄貴を殺したところで会うことになる。
ジョーは殺すつもりでいた。
ジョーの気持ちが爆発していきなり殴りあう展開になった。
しかしながら、二人とも窓から外へ落ちてしまう。
アリスターは当時思っていたことを正直に話して、その場を去った。
ジョーはそのあとアリスターに電話をする。
「もう忘れる」と。
くずれさるアリスター。
そんなラスト。
「復讐」と「罪の意識」の両方を立体的に書いた映画じゃないかな、って思っている。
見どころはアリスターとジョーが会うところ。
アリスターはこういった。
「だれでもよかった。殺したかった。殺せば何者にかなれる気がした。
バーに言って、みんなに誇りたかった。ただそれだけだ。
復讐のために生きるのはやめろ。もう私は何者でもない。
その残りの人生は娘のために生きてくれ。」
ジョーはこれを聞いて震える。殺しもしなかった。
これを見て思うのは、Hilschbiegelにとって、復讐の感情というものはどういうものなんだろうか、ということ。
怒りではあった。殺したいほどの。
しかし、ただの怒りじゃない。もっと複雑なものとして描かれている。
自分が受けてきた33年間の苦痛を殺人として返そうと思っている。
しかし、最後にはひよってしまう。
最後のほうで遭遇しても、
殴りあってしまったら、もう怒りなんて行き場のない思いになってしまう。
忘れろ、というアリスターの話も納得できる。
結局のところ、もう募っていた怒り、というものはどこかに行ってしまったような思いとなる。
アリスターを殺さずとも、赦しもせず、忘れるという結論に達する。
怒りではない。しかしながら、怒りが発憤されると、結局忘れるしか手段がない思い。
アリスターにとっての「罪の意識」
この映画はアリスターの映画とも見られるし、ジョーの映画とも見られる。
骨太な作りをした映画だ。
アリスターは33年間、ずっと、自分の頭の中にあの少年がいる。
自分は殺人被害者のアドバイザーになる。
でも自分の中の少年は消えない。
自分が間違っているということに気付いたのは刑務所の中。
組織が与える価値観に従うと狭くなる。
人を殺しても良くなる。公平なこととなってしまう。
なぜならば彼らは間違っているからだ。
そしてそれ以来、少年は自分の中に居続ける。
アリスターは、ジョーと話す覚悟は持ち合わせていたように思う。
「怒り」という感情がuncontrolなものとして描かれており、
それとの対比で、自分がそれなりに向き合うことのできる感情として描かれている。
忘れろ、とジョーを諭す。
ジョーは震えながら、自分をコントロールできない状態でタバコを吸う。
ラストでジョーから電話が入る。
「忘れることにした」
崩れ去るアリスター。
33年間背負ってきた罪の意識が解き放たれた瞬間。
その時の感情として、この役者が選んだのはひずんだ顔の表情だった。
なるほどなーって思う。
笑顔になんてならない。
33年間の罪の意識から解き放たれたということは、喜ばしいこととしては描かれない。
けれど、また立ちあがって歩き出すアリスター。
結局のところ、そういったもの。
罪の意識は結局、逃げられないものだったけれど、ふっと鈍く解き放たれるもの。
赦しではない。忘却。それによってのみ、救われる「復讐」と「罪の意識」。
Hilschbiegelは人間心理に面白い踏み込み方をした、と思う。