トイ・ストーリー3

トイストーリーを見てきました。
やっぱり初日に行ってしまうあたりがミーハー笑。

感想というほどじゃないけど雑感を。


スペイン語わかった笑。

バズが途中でスペイン語モードになります。
7割がた聞けたかな…
最近全然語学の勉強してないなーとも思わされたけど。
"abierto"
ていうのに字幕が付いていませんでした。開いたぜ!っていうくらいの意味です。


・アンディのウッディの評価

コレに思わずウッディなるほど、と思わされたアンディの一言

「ウッディはカウボーイ。決して友達を裏切らないんだ!」

ほえーなるほどね。確かにそうだ。
ウッディのここは、見ていて感心できる物語の作りになっている。
ウッディの行動のリーチがきちんとほかのおもちゃまで来ているのは、感心せざるを得ない。

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この話、何が描きたかったんだろうなーって思ったりしてみる。


今回は、おもちゃのよごれた権力者ロットがでてくる作り。
おもちゃの権力を振りかざして、新入りに残虐な扱いをする保育園の園児のおもちゃになることを強要する。
その被害者となったアンディ一家のおもちゃ。
トイストーリーならではのハラハラ感もあって、ちゃんと楽しめます。


あんまり分析的な感想を書くのもアレな感じがしてきたので、思ったことを。

大学生になってしまうアンディはいつまでもおもちゃで遊ばない。
それは一般的な大人もそうで、そこは認めなきゃいけないのだけど、
未だにこうしてトイストーリーという形で、おもちゃを題材に仕掛けてくる人たちがいる。

いつもこういう映画を見ると、後ろに星の王子様の存在を感じる。
はたしておもちゃで遊べる感受性は今自分に残っているのだろうか。
「おとなってつまんない!」って言われてしまうんじゃないだろうか。


一歩引いてトイストーリーっていう映画をどうとらえるか、って考えると、
この自問自答をするきっかけ、ぐらいなんじゃないかな、って思うようにしている。

アンディが最後おもちゃを近所の子にあげるんだけど、その時に
「君はおもちゃを大事にしてくれるんだよね?」
と聞く。

おもちゃでは確かに遊ばなくなったけど、その遊んだ記憶と、
アンディから見れば、おもちゃに生があるわけでもない(それはおもちゃ側から見てばれたらまずいこと)なのに、
きちんとその内側に何かを感じ続けている。


必要なものか、と言われたらそうでもない気がするけれど、
たとえば、目の前のペンが夜中動いていたらーっていう妄想をしてみるような、
そういう感受性ってあってもいいような気がするんだよね。
それやれば給料が上がる、とか、頭がよくなる、とか、
偉くなった時に人の気持ちがわかる、とかそういう次元じゃなくてね。


そんな仕掛けを後ろに見た気がしましたとさ。


僕はいつもそんな童心と大人と闘っている気がします。


しかしまぁこれで泣かされるとは思わなかった。
おもちゃ全員で手をつなぐシーンとか、さらばカウボーイってバズが言うシーンとか。
もう一回見てもいいかも。