ロジカル・ディスカッション

ロジカル・ディスカッション (Facilitation skills)

ロジカル・ディスカッション (Facilitation skills)

さて、次はちょっとした実用書。
結構前に読んだんだけど。


ディスカッションってのが僕にはよくわからなかった。


ミーティングで、あらゆる物事を決めましょう、ってのはそれなりに得意、でもないのだけど、不得手とは思わなかった。
主にファシリテーティングよりは、横から発言して、ファシリを助ける感じなんだけど。


ごめん、何言ってるかよくわからない。
で?なんで?
それ何?


この3つを出すと、だいたい「あーあいつね」ってなったりする笑。

でも、これって議論に必要なものの一部でしかなかったんだな…ちょっとショック笑。
立ち位置を変えた時点で、ミーティングが不得手になる時点でちょっとだめなんだけどさ。


この本は、頭から、ファシリテーターがやるべきことが順番に書いてある。

問題の同定→発言の要約→整理→統合

より具体的には

・issueの同定(現状が正しくつかめているか、という元データの整形の作業がこの前にあるのだろうけど)
どこを論点とするか、がないと議論のしようがない


・ポイントをまとめる・言い換える

ばらばらしたままでは使えないので、この場で共有できるまとめを作る
よくわからない抽象的なことばは突っ込んで、もう一歩先に進めるように具体的な言葉に言い換える、
あるいは具体的なステップに言い換えたりする。


・筋道を検証する

発言者はえてして結構ばらばらに発言するので、どういうロジックのフローなのかを明確にする。
(頭の中に図式を書く感じかな。数学やる人ならわかるだろうけど)
で、そうしていく過程のなかででてきた歪みを質問することによって正していく。
ロジックのジャンプを一行一行埋めていく作業。
これをしなくていいなら、数学は正直楽勝な科目だろう笑。


また、ある答えに至る筋道が一通りじゃない、ということにも留意しておくべきだろう。
この本ではこう紹介されているけど、要はある程度帰納的な結論を出しましょう、ということなんだろうな。
演繹タイプの罠は、それ自体が正しい、ということなんだけど、それは結局A→Bのフローでしかないので、
AはBの部分集合であって、これだとMECEじゃないよ、ってことなんだろうな。
もれなくダブりなく、っていう概念の応用なんだと思う。
現実的な議論が常に同値で結ばれるような議論だと思えないしね。


・整理する

ボトムアップ型としては
ある問題解決に至る筋道(ファシリによってmodifyされたもの)を整理して、クラスタリングする。


トップダウン型としては
ツリーとか使って、もれなくダブりなくってことなんだろう。

これってよく考えたけど、フローとしてボトムアップだったら整理は順序的にここなんだろうけど、
トップダウンなら順序は頭だろうな。
で、論点整理→意見出し合い→統合だろうな。
結局、今自分がどんなフローで議論したいのか、っていう方法論的全体像は常に頭の中にないといけないんだろうな。

トップダウン型をもってよく「ロジカルシンキング」みたいなこといわれるけど、
これだと意外な意見がでにくい、という注釈になっとくしてしまう。


・統合

出てきた意見のどれを取るのか、ということを考える。
あるいは、クラスタリングされた要素を見て、さらに上位の概念を用いて結論とするやり方がある。

まぁ、あとは折衷案というのを雰囲気で覚えておくといいんだろうね。



で、このすべてのフローを構造的にうまくやるために、フレームワークという便利なものがこの世にありますよ、っていう話が最後に載っている。
フレームワークのいいところは、あえば楽なんだけど、きちんと使えてないとただ混乱するだけ、という。




全体的に、どこに着眼して、どういう発言がunlogicalなのか、というのが結構事細かにかいてあって、わかりやすい。


結論を一個出す、というのはかなり難しい作業だ。
そもそもじゃあコンセンサスってなんだし、ってなる。


コンセンサスはロジックの向こう側にあるものじゃない、って思うんだけどね。
結局、みんなが「納得」できる解をどう出すのか。
その道筋がロジカルディスカッションであって、答えを出すアルゴリズムではないことは最大限に留意してもいいだろう。


具体的病ってのもあって。
抽象的な議論って俺結構好きなんだけどな。
それは文字通り言葉のやり取りの議論もそうなんだけど、抽象化によって生まれることもあるはずなのに。
たとえば、線型代数という、もともとはユークリッド空間の座標の関係であったベクトルの概念を拡張すると、
一次方程式と微分方程式の議論があんまり変わらない、っていう話があるんだけど。
こういうのって、上位の概念への抽象化による恩恵で、これこそ頭のよさだと思うんだけど、
どの本見ても、抽象的な議論は避けなさい、って書いてある。
汎用性のある議論をつくる醍醐味ってみんなわかんないのかな。
それこそ頭の良さがここに出てくるって思うんだけど、世の中はそうではないらしい。
結構病気だと思うんだけどね。なんでだろう
でも抽象的な人生議論はどこにもいけない、ってのは同意。


あ、こういう議論は、時間軸の向こう側に、変わることを要求していて、
具体的なアクションを同定する必要があるから、抽象論をさける傾向があるのか…
汎論的な言葉を用いると、賢くなった気分になるから気をつけよう、ってことと、
言葉のコンセンサスがとれない、ってことなのかな…
非常にレヴィ=ストロース的な話だな…



まぁこの手の話は、問題解決の手法の一つであって、構造主義的な、近代科学の影響をものすごくうけたものであって、これが出てくる議論の絶対だと思うことは、ただの一個の宗教でしかない。