生物から見た世界

生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 / ユクスキュル/クリサート

読了。


生物が知覚する世界ってこんな感じ、ということの紹介を行った本。
Umwelt,環世界、というのをこの本では解説している。
環世界とは、外界をいろんな近くにまみれて認識した世界のことを言う。


いろんな生物にとって、それぞれ知覚の仕方が違う。
だから、世界の見え方がもちろん違う。
人間と同じようにして知覚を獲得しているわけではない。
そして人間も外界を外界のまま見ているわけではない。
(たまにそういう勘違いをする人がいるけど、
物事に集中できたりするのは、他を捨てているから、という事実から、
人間の認識も別に外界をそのまま把握できていないことは明白な事実)



客観的であること、ってそれなりによきこととして語られるけれど、
結局客観的な世界ってのはどこにもないよね。
いろんな生物が、いろんな知覚をするわけで。
知覚にまみれるとそれはもう客観世界ではなくなってしまう。


客観世界のなさ加減で言えば、確率の公理系と少し近いかも。
Ωという森羅万象が記述された抽象的な空間を考えて、
これをPという写像で取ると1にになります、という。


なんだかわからないけれど、ある世界。
でもわかりにくいから、結局数字に落すようにして確率の議論は進んでいくんだけど、
それと似た物を感じる。


というか、この背後に確率を見てしまうのも、僕の環世界。


こうやって、人によっても世界の見え方はもちろん違う。
人ってそれぞれだよね、というありていの決まり文句以上に違う。



ある物事に対して、距離は様々で。
そこをどうデザインするか、というのが、物を作る人が考えること。
みんな違うよね、じゃ結論も何も出てこない。


人、あるいは生物それぞれの環世界、個人的体験の空間を築き上げること、
しかしながらユニバーサルなものも作り上げなければならない。
そういう人にとって、読むに値する本だと思う。


面白いのは、ハエから見た世界とかが絵で描かれていること。
コレを見ると、これも創造的だな、と思わざるを得ないが、
同時に、知覚が目によって行われている、という人間様基準を
脱しきれていない、というのを感じてしまった。


でも、物事は、客観が観念としてのみ存在するならば、
結局、比較によってのみでしか測れないのかもしれない。
そういう結論に至ったうえで、こういう絵を描いていたら、
申し訳ない、の一言しか出てこない。