10月:Suffering is optional, pain is inevitable.

僕の実感から言って,留学という物に憧れの響き,あるいは実感を伴わない遠い思いを持つ人は少なくないと思う.
いろんな目が向けられる.
行く前に一通り「あーうらやましい」「俺には無理だわ頑張ってね」と一通り言われる.
行ったら行ったで,行った本人は多くの人に「外国で生活する」リアリティとして実感されず,むしろリマインドすらされない.
たまに思い出して.イマジナリーに「あぁあいつは外国で生活しているね.」などと思われたりする.

自分が学部3年生くらいのときに,少なくない友人が世界各地に行っていた.
だけど,僕の普段の生活の中で海外に出ている彼らが思い出されることは極めて稀で(日本にいた疎遠になっている友人とその頻度を比べてもだ),
ごくたまに何かのきっかけがあって思い出すことがあっても,
自分の中の想像,あるいは理想のどんずまりとしてリアリティをともなわず浮かんではすぐ消える.
その思いはセーブなんかされない.


外国での日常は,多くの人の予想に反して(あるいはそんなものは予想もされない),アンチクライマックスの連続である.
ハリウッドの映画みたいに,自分が選ばれし者で,なんらかの大きな向かうべきものが現れ,それをこなしてクライマックスを迎えるーそんなことはどこにも起こらない.


こっちきて一ヶ月弱,思うように生活が進まないことが多い.
なんで日本を一年という短い期間でも出ようと思ったのか,って思うところは結構あった.
わりとそれを毎日点検しないと暮らしていけない.だけど,日々具体的な問題に追われながら一日が終わっていく.

何しに来たんだっけな,という疑問が頭を離れない.思想の欠如,というのが抱えている大きな問題なのかもしれない.


大きな思想,とても大きな「かくあるべし」的な大きなものは持つことを放棄してしまった.
大言壮語を吐くようなことはある段階を超えてやめてしまった.
そんなことより,目の前の問題を扱う方法を覚えよう,そう思った時期があった.
2年生くらいに捨てて,3年生の半ばくらいでこの方法をようやく模索しだしたと覚えている.


目的とその手段に全てを売った.何かをなすことに魂を売った.
その一方で,ものごと全般に対する評価基準みたいな物は,あんまり育っていない.
何をやってきましたかリストはまぁ書ける.(それが評価されないことのほうが多いけど)
なんだけど,一本の糸でつなごうとすると,
前までの「自分の中でまとまりがあったんだけど言葉にできない」から
「さてここから何をいわなきゃいけないんだっけ?なんでこうなったんだっけ?」
になってしまっている.


かくあるべし,的なものが自分の中で定まらないまま,それが型としてできてしまった感がある.
このことが引き起こすもどかしさは,こういう難しい場面において,非常に際立つ.
実は,できていたと思っていた型が,とてもシステムと決まったシンタックス(そしてそんなものは普遍的に存在しないし,しえない)に守られた,やわいものでしかなかったのかもしれない.

Suffering is optional. Pain is inevitable.
普通はこの文を逆に読む.Pain is inevitable, suffering is optional.
なんだけど,ここではこの順で読みたい.
苦しみはあなた次第である.その痛みは避けられない.


外国で暮らすというのは,躁を保つ能力がある人には向いているとは思うけど,この人は一種の病気である.
ごく普通の人間,それはもちろん僕を含む,にとっては想像以上に苦痛である.
ここでは僕は「街にとけ込んでないstranger」の域を出ない.
初めてスタバ,あるいは他のなんでもいいんだけど,に行ったときに,なにしていいかわかんない居心地の悪さみたいなのを,ずっとずっと感じ続けることになる.
そして,やわいシステムとシンタックスに守られて来た物が機能しない.

引き返しても地獄,行っても地獄.
「どうせなら行った方がいいじゃない」というポジティブな考え方じゃなくて,とにかく遮二無二に前に進むしかない感覚.
いつか見晴らしのいい場所に出られることを期待している.
問題は,今自分がいるのが進むべき山道なのかがわからないところなんだけど.
とにかく,海外に出て生活するということを選択した.選択としての苦労である.そしてその苦しみは避けられない.


11月,時間ができるはずなので,日本の仕事と思索にふけることにする.
Suffering is optional, Pain is inevitable.





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後日付記

この文章は,何度も迷ったが,あまり手を加えないことにした.いくらか分かりにくいところがあり,何を事実として捉えて,何を問題意識として捉えているのかが結構弱いなと感じる.だけど,手を加えない.代わりに,後日付記という形で,少し書き足したいと思う.
 当時,来たばかりで,しかも事情があって遅れてきたので,とけ込めず居心地の悪さを必要以上に感じていた.手続きは進まないし,あちこち役所やらにいかないと行けないし,結構大変だったと記憶している.日本を出る前日までやるべきことがあって,間髪入れずにスイスにやってきたので,バーンアウト気味でもあった.日本を出るまで,切羽詰まったことをしていて「何かがおかしい」と思っていた.スイスに来てから冷静になって考え直す時間を取っていたのだけど,結局新しい環境というのに負けて,どこにも向かえず混乱の日々であったのがこの時期の思い出である.この後遺症は実は今でも引きずっている気がする.
 この混乱が,如実に文章に出てるなぁと思った.当時書いていたときは,もっと錯乱していて,どこのポイントに向かうべきかわからず,4,5回この文章を書き直した気がする.保存しているテキストに下には,たくさんのちりじりばらばらのボツ原稿がならんでいる.やっとの思いで一つの筋を作った痕跡があちこちに残っている.
 それでも言葉が足りずに,少し混沌としているなと今の時点から感じる.手を加えてもう少し説明を加えて,整理して,物事に秩序をつけてもよかった.しかし,この舌足らずさが来たばかりの時に書いた雰囲気があるなと感じたので,そのまま残す事にした.当時よりは外国で暮らす事における物事に対するセンサーというべきものも発達したであろうし(この文章を読み返して確信した),文章に起こすということもそれなりにもう少し意図的にできるようになった気がする.だけど,当時の僕が思っていた事に関して,今の僕が多少は持ち合わせた能力をもって手をかしたところで,この文章の持っている価値が全くなくなると思った.この文章の価値は,来て最初の月であったというタイムスタンプと,その錯乱具合である.錯乱しながら,何かを問題だと思いつつ,物事を捉えられなかったのが「10月」であったと感じている.