11月:世界の田舎の日本の話

日本は世界の田舎だなぁと思った話.

日本以外の国で世界地図を見ると,日本は必ず右端にある.
そりゃそうで,ヨーロッパを真ん中にした方が,真ん中に多くの情報がくる.
こと日本の存在感が特別ではない国において,日本はただの端っこの国である,と感じている.

多くの国に取って,日本のことなんてどうでもいいというのは事実だろう.
そりゃそうで,日本人がスイスについて知らなかったり,タイについて知らなかったり,ベネズエラについて知らなかったりする.
アメリカ,中国,のようなある種の「特別な国」でもない限り,多くの人の興味を引かない.
そして当然だけど,日本はそういう「全世界的に見て特別な国」ではない.
例としてあげるのも適切か判断しかねるけど,
タイ語について日本人である俺は何もしらないし,アゼルバイジャンについて何もしらない.
フォークランド紛争についても知らないし,ジブラルタルの戦いについても知らない.

日本文化の存在感が特別な国がたまにある.フランスはその好例だろう.
フランスでは漫画が流行っている.日本食レストランもパリの中のそこらじゅうにあった.
フランスはこと日本文化の存在の仕方が特別だな,と思う.

そんないくつかの例外と思われる国はさておいて,スイスはこと日本と関係のない国である.
これには諸原因があると思われるんだけど,これについては関係ないので省略.
まぁ逆もしかりなので,文句も言えない.言うつもりもないのだけど.


そんなスイスで体験した例を一つ挙げてみる.
よく聞かれるのは「日本語ってどうやってPCに入力するのか」という質問だ.
こういう質問はこっちにきて初めてされた.
説明しようにも,相手は日本語について見たこともありません,くらいであることが明らかになる.
日本語を全くもってみたこともありませんくらいの人に説明するのは結構骨が折れる.
そういえば今まで話してきた外国人には「漢字難しいよね」とかいう話をされてきた.
今まで日本のことについて聞かれたときに,ちょっとした前提としてあったのは
「ある程度相手は自分の国のことについて知っている」ということだった.
「日本語の文字にはひらがなとカタカナと漢字があるよね」程度のことはしっているんだなぁすげぇなぁと思っていた.
なんだけど,多くの人は知らない.そりゃそうだ.ここスイスでもそうだ.
で,結局持っている文字の説明からしないといけない.
日本語の文字について今までしたことがなかったからもちろん上手に言えない.
日本語の一番簡単な文字は一つにつき一つの発音を持っていて,必ず母音のみか子音と母音の組み合わせだ…
子音?母音?英語でなんていうんだっけ?
「日本語は中国の文字を持っているんだ」とか言うと,驚かれる.驚かれることに俺が驚く.
そんなんでいろいろ戸惑っているうちに,一番簡単な文字を中国語にもある文字に変換して…という話はしないままこの話は終わる.


ほかにも
修士論文は日本語で書くのか?と聞かれて「そうだ」と答えると残念そうな顔をされる.
インターンシップやったか?と聞かれて「今年の夏日本でやったよ」と答えると残念そうな顔をされる.
(ヨーロッパで探したいなーっていうと,そうだよそれが常識だよ君,のような顔をされる,これ本当)


こういう「世界では日本について知らない人がマジョリティである」というとてもとてもとても簡単な事実は,
日本にいると宿命的に見えないポイントだなぁと思うようになった.
こんな大きな死角があったんだ,と驚いている.
今までいた日本という国が日本に関して特別なところで,いくら日本で外人と交流しようとも,こういう人には出会えない.
当たり前なんだけど.


日本の存在感が薄い.そのことについて危機感を煽っているわけでも,諦観を持つわけでもなく,
そこにはごくごくあたりまえに日本のことについて知らないという事実がある.
そして日本人は思ったよりそのことに無頓着である.
今日も日本で日本についてのニュースが流れているであろう.
ノーベル賞を取った日本人がいれば日本は湧く.
だけど,それ以外のノーベル賞について知っている人がどれくらいいるだろうか?


この間,電車に乗ったらコスタリカ人と日本人のペアに出会った.
彼らはドイツ語の語学学校の知り合いだそうだ.日本人の方はおばさんだった.
簡単なドイツ語と簡単な英語で会話してたんだけど,日本人のほうはアクセントと喋れない時の間の取り方で一発で日本人だとわかった.日本語の本を読んでいたので,話しかけられてちょっとだけ会話に参加した.
コスタリカ人「日本のご飯俺知ってるよ.Sushiとか」
日本人「Sushi!!」(日本のことが話題に出てきて超うれしそう)
俺「Sushiね.アレはおいしい.なんだけど,スイスだと高いよね.特に高い」
日本人「日本ではSushiが100 yenで食べられるんだよ」と,必要以上の母音たっぷりの発音で言う.
コスタリカ人「yenって何だ?まぁ俺は寿司自分で作れるから問題ない」

コスタリカ人は多分寿司についてあまり知らない.日本についてもあまり知らない.
日本人の方は,日本について話題に出てきただけでうれしくなっている.そして自分の国での常識がさも世界の常識であるかのように円についての話題を出す.

平日の昼,電車の中で行われた会話の中に,日本は世界の中で田舎で,日本人は田舎者なのかな,と深く思った.

                        • -

後日付記

この話を久々に見て「わざわざこんなことまとめていたのか」と思った.この時期は自分の生まれた国と自分をどう引き離すかを考えていたような痕跡がこの文章から伺える.日本人は田舎者,と否定的なニュアンスを出して,生まれた国での常識なりなんなりを自分の身から切っていくプロセスの一つであったような気がする.一方的に悪く言って悪かった,という気持ちが強い.
少し日本を擁護しておくと,同じようなロジックで,ヨーロッパ人も田舎者である確率が割合高い気がする.例えば,知る範囲ではヨーロッパ人はヨーロッパから出ることがあまりない.さらに,フランス人スペイン人イタリア人の一般階級は,僕の認識する限り,英語を全く話さない.日本語より彼らの言葉のほうがずいぶん英語に近いはずなのに.