ハイコンセプト-「新しいこと」を考え出す人の時代
- 作者: ダニエル・ピンク,大前研一
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2006/05/08
- メディア: 単行本
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を読みました。
主張としては、「デザイン」をするような思考がここからの時代勝つよ!っていうお話。
話の要約としては
豊かさは美しさや超越への欲求を生み出し、ドラッカーのいうところの「ナレッジワーカー」、しかもこれによって豊かになったのに、それが不要になってしまう。
ものをただ単にできる、というのは、アジア、あるいはオートメーションといったブラックボックスに突っ込んでしまえばできるようになる。
これからの時代は、専門でなくて、いかにそれを統合するか。そしてそこにいかに知恵があるか、そういった人が上に立つんだ、といった主張。本ではこっちを「右脳的思考」、ナレッジワーカー的なものを「左脳的思考」と呼んでいる。
そしてそんなのに必要なセンスが6つある。
・デザイン
ここはオートメーションの代行が難しいところ。機能だけを追求するのではなくて、もっと様式的な美しさにもこだわろう。そうしてそんな能力を身につけるべきである。
・物語
ここの出来事を生み出すことに熱中していはだめだ。これらを俯瞰的に見て、そして一本の筋、「物語」でつなげる力が必要。
・調和
個別のもの一つ一つとして見るのではなくて、もっと全体的な判断をしよう。ばらばらな断面をつなぎ合わせて、一つのものを作り出す能力が必要
・共感
ロジックではなくて、他者の心に共感できるか。感情に訴えることができる能力がほしい。
・遊び心
まじめにやるだけではなくて、もっと心に「楽しいこと」をする余裕があるのか。そういった楽しいことがこれからの世の中変えるようなことをする。
・生きがい
もはや足りないものがないようなこの時代は、ものでみたされるのではなくて、もっと、精神的なもので満たされる。これからの時代は、やりがい、生きがいなどで評価が決まる。
といった主張をこの本でしている。
なるほどなーって思う面が何個か。
筆者はこういった思考を「ハイコンセプト」と呼んでいる。
人類の歴史はほとんどが「欠乏」で語られる。○○の取りあいの戦争、○○のききん…
そんななか、もはや足りないものがない、のが現代のフェイズである。
そんな中で、どうやって生き残っていくか。
「右脳」と呼んでいるけれど、これ、よくよく見ると「人間が人間であることの大きな理由」に集約されている気がする。
今の時代は、どこまでもオートメーション化が計算機の進歩によって可能になっている。
しかしながら、計算機ができるものは、世界が機械がわかる範囲の部分空間に射影され、機械語で、その指示に従って動くだけ。
人間臭さ、がでるようなものはまだ全然間に合っていない。
コンピューターが絵を描けるようになるのか。
コンピューター自らが表現する時代は来るのか。
人工知能が統計的な学習に基づいて作られている限り、それは達成しないんじゃないかなーなんてのが聞きかじった範囲の知識を総合した考察。
でも、そんな中で、人間ができること。それは「おおざっぱに」「直感で」とらえること。
そして「自らの意思で表現すること」、そしてそれを「受け止めること」。だと思う。
そういったものを反映すると、こういった6つの「センス」になるのではないか。
これからは、できることがある、んじゃなくて、それ自体を自分で作り出せ、というのが多分この本の主張。
で、そういったものは、ただがりがり勉強しているだけじゃだめなんですよ、っていうことなんだと思う。
ただの関数として言われたことが処理できることが望ましいわけでは全然なくて。
そんなのはもうコンピューターか、あるいはアジアの低賃金労働者が、かつての先進国みたいにやってくれる。
そこで、モノがゆたかになると、精神性に訴えるものを、いかにして作れるか。
多くの人が共感するような、機能を超えた、統合されたモノを作れるか。
そういった能力が求められていて、それが6つの能力だと。
この本には、この6つのセンスを養う方法がいろいろなアプローチで書かれている。
結構わくわくすることが書いてある。
大人になってしまうと、こういう「感性」が失われてしまうかもしれないので、書き留めておくことにする。
感じる心を失ってはだめだな、ということを再確認させられた本。
でも正直、こういう概念操作的なモノだけじゃなくて、
自分でもこの本の言葉に従うと「左脳的」なモノを持っておきたいなーって思うのが最近の自分。
この全体力ってともすれば自分をガラパゴス化にもできるわけで。
そういうのってちょっとちげーなーって思ったりする。
物事のすべてを理解するのは無理だから、多分いろんな人はアナロジカルに理解するのだと思う。
そういうもの、比喩っぽく言えば自分の「定規」を、一つ持っていないと、全体思考云々の前に、ただの口先だけになりかねないような気がした。少しだけ何か持っている人がこの本読むと変わるかもしれない。