なんで留学するんですか?

私事ですが,1年ほど,チューリッヒに出ることになりました.
俗に言う「留学」です.
所属する研究科の制度でちょろっと向こうの大学院に行くことになりました.


で,このごろ「なんで行くんですか?」「何しに行くんですか?」と聞かれる機会が多い.
だいたい毎回同じことを答えているし,質問されてもぶれなくなったので,
ここにまとめておこうかなと思うようになった.

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学位を取得する人より,こういう制度を使っていくひとほど,
何か気概を語ってから行く傾向にある気がしている.
様々な人の思惑や,羨望や,破壊欲求や,偏好の目を向けられる「留学」というパッケージ.
学位取得目的より比較的実現しやすい「留学」だからか,
よく言えば「野心にあふれている」悪く言えば「イメージ先行の精神論」的な気概を語るのかもしれない.


まずはこの言葉を忘れたい.いろんな人が,いろんな思いをこの言葉に勝手に抱いている.
それゆえか,少なくとも何をしにいくかを答える際にこの言葉を出すと,何も伝わらない.


僕はかなり意識してこの言葉をさけている.
自分がしにいくことが,かつて憧憬していたこの言葉とは全く違うものだから.
なお,かつて自分が憧憬していたものなんて存在しないと今は考えている.

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なんでしにいくんですか,と聞かれたら,答えは簡単明瞭.
奨学金の書類に書くように理論武装をして答えることもできる.
でも,もっとシンプルにすると「(海外)旅行に限界を感じたから.」


結果的に一番僕の背中を押したのは,マダガスカルに旅行として行ったことだった.
偶然が重なって,観光というビジネスから離れた普通の人々の暮らしを見る機会が多かった.
そして,この経験を超える旅行を今後できるか自分に自信がなかった.


例えば,地方都市から首都に戻る飛行機のブッキングができず,庶民と同じ足を使って移動することになった.
これは道ですか?と聞きたくなるような劣悪な道.
そこで見たものは,新興国の普通のド田舎だった.観光地のかけらもない.
きわめて普通な,ド田舎.外国人が降り立つと,みんな群がる.カメラを出すと,さらに騒ぎだす.
でも,みんな若干栄養失調風.かといって,ぐだっとしているわけでもない.そんな普通のド田舎.


ほかには,バオバブで有名なモロンダバでガイドを雇った.
このガイドのおかげで,地方の保健所を見て回ったり,小学校を見て回ったり,普通の農民と話をしたりと,かなりいろんなことができた.


さらに,首都で知り合った女の子のおかげで,
マダガスカルの大学生という生活の実態を知ることができた.
マラリアの実態を知るべく,フランスの感染症出先機関まで連れて行ってくれた.
さらに,政府高官を兄に持っており,この兄からもいろんな話を聞くことができた.
最後に訪れた,日本語学校の学生さんたちのおかげで,
日本がマダガスカルからどんなふうに見られているのかがわかった.


これらの経験は,相当僕の中で糧になっている.
だが,果たして,次旅行に行ったときに,これを超える経験ができるのか.
これ以上に,そこにいる人の考え方や暮らしを感じることができるのだろうか.
同じ状態で,何をすればこれを超えられるのかが僕には見当がつかなかった.
何かを抜本的に変えないと,自分が獲得できる世界がこのまま変わらないと思った.
そういうものを感じる基礎体力をつける,文化・歴史観・社会を肌で感じる,
その中で自分の能力で生きていくというのをやりたくなった.
そんなところに,大学院の進学も決まった後だったので,学位留学じゃなくてこの制度を使うことにした.


というのが話の大枠.
「旅行に飽きたから」っていつも笑いながら言ってるんだけど,
これは上記のような感じで心のそこから思っている.
しかも,あきれられてか,ツッコミも来ないから放っておいている.


キャリアの一環のような文脈出てくることが多い「留学」という言葉.
語学の面もそうだし,専門を深める,なんて言う人も言う.
なんだけど,あんまり自分の中で,
今回の「コレ」はそんな感じじゃないかな,という所感を持っている.
だから,明確にこの言葉を自分の中で避けている.
今回のこの行為は,そういう言葉じゃうまく説明できず,
どちらかというと,マダガスカルで感じたものを言葉にしていくほうが近いから.
余談だが,友人たちから「帰ってこないんじゃないか」と言われるけど,
いまこうして整理してみてその理由が初めてわかった気がする笑.


ほかのことは日本でもできる.専門を深めるのだって,日本のほうが多分早い.
専門は全く人文科学ではなくて,もっと普遍的なものを追う感じの学問分野なんだけど.
幸いなことに,日本では今いろんなことが結びついたのか,
いろんなチャンスがやってくることが多い.
なんだけど,自分の中に感じているこの限界は,
ほかの何より今この時点で突破したいという気持ちが強い.
この気持ちが最近確信に変わったんだけど,この話はまた今度.

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そういえば,昔,留学をめぐる議論なんていう備忘録をつけていたのを思い出した.
この議論の山だったfor what for whomは,別のところでかなり実践してきた.
この考え方は,自分の中にとりあえずインストールできたかな,と思っている.
何かするにあたって,いつも話の基準が「自分が」だったこの頃に比べれば,格段に改善したと思っている.
かつてそういう話で盛り上がっていた人と共通言語をなくしたのはそれはそれで損失なのかもしれないけど.


結局今回自分がする行為が,
ここに書いて,さらに否定してある「旅行」の延長なのか,という疑念も湧かなくもないが,
これを書いた大学3年の自分が攻撃対象にしようとしてたものはクリアできていそう,
というのがなんとなく手応えでわかる笑.(まぁ同じ自分なんだし,そういう納得観がないと行かないだろうな笑)
で,この頃より,問題意識と大局観と生きていく術くらいは持ち合わせていると自信を持てている笑.