Into the Wild

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]

Into the Wild, 究極の孤独の実践。


こんな映画をだいぶ前に見た。
明日、というか今日、とうとう腹をくくってこんなことをしゃべんなきゃいけない。
なので、まとめておこうかな、と思う。

この映画、同名の原作ノンフィクションがあって、アメリカでベストセラーとなったそうです。


話としては、
アメリカの大学をほぼ首席で卒業したクリスが、旅に出る。
彼の家庭環境は最悪で、ほぼ彼にそそがれた愛はない。
すべてに疑問を覚え、全財産を寄付し、カードを解約して、名前を変え、家族に行き先を告げず、社会を拒み、自由、真実を求め、放浪に出る。

旅先でよくわからんヒッピーとであったり、農場の主とであったり、孤独の老人とであったりする。
そんな出会った人たちとはちゃんと交流をするのだけど、それでも気が向いたらそのままアラスカを目指して旅に出てしまう。
そして、旅の最終目的地であるアラスカへと行って、廃バスを拠点にとにかくサバイブする。


まぁそんな感じの話なのだけど。
この話、僕は主人公に強い憧れをもった。

「究極に独りを実践する」

これはただの僕のスローガンなのだけど「強く生きる」というのを意識している。
自分の足でとにかく強く歩む。そんな姿を力強いと感じ、無限に憧れを抱き、半分くらいは実践しているつもり。


後半に出会った老人は、妻と子供をなくして、小さな町で独り暮らしをしている。彼は孤独を感じている。
そんな老人が、クリスに「養子にならないか」と提案をする。

クリスの返した言葉というのが

"You are wrong if you think joy emanates only or principally from human relationships"

"My point is that you don't need me or anyone else around tobring this new kind of light in your life. It is simply waiting there for you to grasp it, all you have to do is reach for it"

そういって、町を出て旅に出ろ、と老人に勧める。

人間関係がすべてじゃない。世界には楽しみがたくさんある。そして今していることはただ世界からの逃避だ。


映画を見た当時、数か月前、この言葉に非常に共感した。
そうして、僕も、携帯電話の電源を切り、8日ばかりの旅に出かけた。それも極限を極めたような。
強く生きるとは、他人に頼らないこと。人間関係は一つの選択肢でしかないこと。

自分が経験したことそのすべてが、人生の幸福となる。

そうしてクリスはアラスカへと向かう。


アラスカでは、その土地の物だけで食って、100日生きることに成功した。
しかしながら、衰弱しきってしまっていた。
もう死は近いだろう。心行くまで、理想のアラスカでの野生生活をしたであろうクリスは、こう書く。

"Happiness only real when shared"

究極の孤独、それを旅という形で実践してきたクリスの行きついた結論がここにあるのは非常に示唆深い。
いろんなものを意識的に拒む旅を続けて、幸福は経験のすべてだ、人間関係だけじゃない、という強い主張をした。

アラスカで大自然にもまれ、into the wildし、行きついた結論がそこにある。


この映画をLOVEという文脈で見てみる。

家族から与えられなかったLOVE.
そうして、いろんな人間関係を茶番だと思う。
すべてを拒み、完全な自由、それも他人からの自由を求め、探す。

いろんな人と、いろんなところで出会う。
それぞれ素晴らしい人だったが、自分の素姓を明かすことなく、偽名を使い続ける。

金を稼ぐ手段として、どこかに転がりこんだり。最低限の人付き合いをする。

最後にアラスカで死ぬ間際、

"To call each thing by its right name. By its right name."

誰も彼のことをAlexというずっと使っていた偽名を使うこともない。
そして、クリスと呼ばれることもない。
しかしながら、彼はこの言葉を意識する。

名前なんて独りでいる限り機能しない。
しかしながら、彼はこの言葉を意識するようになる。
right name. 正しい名前。
彼は、一人でも独りになれないことに気づく。

結局のところ、人生の幸福は、他人とのつながりから出てくる。
そのインタラクションが、愛、という風に読めるのかな、と思う。

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僕自身の主張としては、老人に対してのクリスの主張に近い所があった。
そして、どうしてもこの結末に納得できなかった。
予想されたものだったから。

自分で、じゃあそこまで行ってやろうじゃないの。
そう思わせたこの映画。

究極に孤独を実践する。他人に頼らないとはどういうことか。


実は一連のLOVE特集の向こう側にそれを見ている。

この映画を見て以来、じゃあ自分でクリスの結論にたどり着くか、あるいはそうでないか。
自分で見極めたくなった。


この映画のコンセプトは、僕にとって挑戦的だった。
長いこといろんなことを探す羽目になった。

いろんな本を読んだ。
いろんな主張は、人とは社会的な生き物であることが前提である。
さらにそこにそれ自体に幸福が、人生の意味が隠されている、と述べる人は多い。

そして、人はこれをLOVEと呼ぶ。


テーマはLOVE.

それは生きている幸福。


なんかようやくこの結論に負け始めている気がする。別にそれを悪いことだと思わない。