四畳半神話体系

四畳半神話大系

四畳半神話大系

四畳半神話体系 / 森見登美彦

を読了。


話としては、四畳半の部屋に住む主人公が明石さんというヒロインと結びつく話を4編。
大学生活の最初において、できたはずの選択肢4つを取った場合どうなりますか、というお話。



最後の一章は、四畳半の部屋を旅する構成になっている。
四畳半の部屋を出ても四畳半…
そして、これは自分が「しなかった」選択の帰結なんだ…というもの。


バタフライエフェクト」という映画がある。
初期値が+ε違うだけでまったく状態が異なるというカオス理論の言葉をそのまま映画のタイトルにしたもの。
過去を変えにいける主人公が、過去を変えにいくのだけど、納得のいく現在が出てこない。
なんていう映画。ちょっと違うだけで、未来が本当に違う、という主張。
この映画とは全く逆の主張を感じた。


しなかった選択をしたところで、実はあんまり変わらない。
最後の一章の四畳半の旅は、全部しなかった選択肢の帰結。
しかし、その四畳半は全部あまり変わらない。


というのも、文中に
「人は可能性ではなく、不可能性によって語られるべきである」
なんていう言葉がある。


結局、これしたら○○できる、という言葉はあまり意味を持たずに、
自分には○○できない、というものの枠組みで世界が決まる。
ならば、最初にした選択、すなわち可能性の選択をしたところで、不可能性はかわらないため、
世界の枠組みがあまり変わっていない、という主張なのだろう。


結局のところ、どの選択したところで、帰結は同じなんだよ、というメッセージを感じる。
しなかった選択のifに思いをはせるより、1秒先に何するか考えた方がいい。
不可能性を小さくすることにより世界は広がる。


初期値の違いより、自分という振る舞いが何が可能であるか、のほうが大事なんだな、
という構成のメッセージを感じる。



この小説、なんで成り立っているんだろう、って考えると結構作者がこずるいことがわかる笑。
主人公の友人小津というのを、この最初の4つの選択肢のサークル全部に所属させているのだ。
それゆえ主人公とどの章でも出会うことを可能にしているのだけど。
そして、この小津の人間関係をどの章でも保存している。
ここと主人公が結びつけることによって、どの章でもあまり変わらない展開を可能にしてるんだなーってことに気づく。
ずるい…


最後に、この小説を読んだ雑感として。
4つのお話があまりかわらないため、コピペを(意図的に)使った文章が随所に出てくる。
コピペができるようになって、小説としての本当の連続性を保持したものがうまれなくなった、と
知り合いが主張していた。
やはり、そのコピペも許されぬ連続性が小説全体に緊張感を与えていた、ということらしい。

しかしながら、こういう新しい形の「コピペ文学」もありっちゃありなんじゃないかな、と思った次第であります。


レトリックは盗みたいものばっかりだった。
一個一個このたちの悪い日本語を盗んでいくことにする笑。