実験室KR-13

映画実は5本借りて、3日で全部見たという廃人具合です。


実験室KR-13 [DVD]

実験室KR-13 [DVD]

MKウルトラ、という冷戦時代にアメリカあったと噂される心理実験が今でも続いているという設定の映画。
あらすじとしては、
恐怖実験が行われる。
4人が密室に閉じ込められる。
実験を執り行う教授が入ってきて、ダミー実験の概要を説明した直後、
一人を撃ち殺す。
残りの3人も、一人ずつ死んでいくことが予告され、最後の一人がでていけると説明される。

その裏で、
他で鍛えてきた心理学者が、はじめてこういう実験を目の当たりにして、観察することを求められる。
実験を執り行う教授から逐一所見を求められる。


そんなサイコな映画。
密室映画で、映画の専門用語だとソリッドシチュエーションというらしい。


実はこの手のサイコパニック映画みたいなのはわりと好きで。
es(Das Experiment)とかヒトラー最期の12日間(Der Untergang)とかを
撮ったOliver Hirschbiegelの作品とか好きです。
よく見たらオリバーさん新しい映画撮ってるじゃないですか…これは見なきゃ。
とはいいつつ、ドイツローカル感も好きだったのに…アメリカシフトしているのか。


さて、違う映画の話をしてしまったので笑。
話をもとに戻して。


サイコパニック映画の見どころってどこにあるんだろうって考えると、
人間の極限状態を映画で再現しよう、ってところが見どころの大きな一つだと思う。


この映画の場合、
白い密室という圧迫感。自分が殺されるという恐怖感。
そこでの3人の人間の振る舞いを描ききろうとするところにこの映画の見所がある。


極限状態になると、展開が青春映画っぽくならない。
みんなで協力して生き残ろう、ってならずに、人間の汚いところがでてくる。
「どうしても自分だけが生き残りたい」
自分が生き残りたい、と思うと、どうしても手段を選ばなくなる。


この映画の場合、
一人の黒人が震え上がってしまう。
他の二人は、協力して生き残ろう、と話をつける。
「1−33までの数字をアメリカ人に選ばせました。どの数字が一番多いでしょう。最も遠かった人が次の犠牲者です」
という問題が出される。それに対し、
みんなで解答をあわせよう、となる。
しかしながら、黒人が「いやルールには従うべきだ」なんて反論をするが、結局あわせようとなって落ち着く。
しかし、最後の最後でこの黒人が裏切る。
結局協力しようといっていた2人のうち1人が死んでしまう。


部屋に拳銃が放り込まれて、パニックになる。
周りがみんな信頼おけなくなる。
一人がパニックになって銃を撃とうとする。
でも冷静に説得する奴がでてくる。


次の出題は
アメリカ人の平均IQの世界で第何位?」
で、ヒントが書いてあっても、それを隠してしまうもう一人。
黒人の方は、それに気付かない。


結局、アメリカがテロリスト養成を目指していて、
人間兵器になれるかどうかの人材を探しているというオチが用意されている。
最も従順な人間がセレクションされる過程だったのだ。


この裏で、この手の実験に関しては新米の心理学者(他で鍛えてきた素晴らしい知見を持ち合わせている)が、
道徳的にこの実験はどうなのか、と思ってしまって、実験室のカギを奪う。
しかし、救い出すことなく、教授に返せと言われる。


最後、脱走した黒人。
助けを求めて心理学者のもとへやってくるが、扉を閉めてしまう。



この映画が他と違うところは、
視点が複数あって、状況が立体的に描かれているところだろう。
実験者を観察する視点があって、そこの心情変化を描写するのがおもしろい。


この映画の見方として、一つ面白いなーって自分で思ったのは、
いろんな状況に自分をあてはめて「自分だったらどうするだろうな」って考えるところ。


たぶん自分が被験者なら、
従順なパターンにはならない。なので殺されるかな…笑。
こんな極限状態日常じゃ用意されない。
その状況を想像するのは悪いことじゃない。


自分がこの心理学者ならどうするだろう、って話ができるのがこの映画のポイントとして面白いところ。
自分の善悪の基準と照らし合わせたら、間違っている。
でも、実験を続行するという組織の利益が待っている。
この映画で心理学者なら…というとピンとこないかもしれないけど、抽象度が一個上のレイヤーの話をすると、
自分の価値観には反するけれど、全体の利益となることを選ぶのか選ばないのか。
この手の話はそれなりによくある。


最後に「細胞死」という話がでてくる。アポトーシスね。
ざっくり言えば、全体の利益を優先するために、個体が自殺するというお話。
アポトーシス的な思考をするのか、はたまた個の考えを主張するのか、あるいはそのいずれでもないのか。
細胞死という考え方を持ち出して、この心理学者は全体の利益を取るように心情が変化した。


自分ならどうするだろうな…
たぶん全体の利益を取るんだろうな…


こんな話は「夜と霧」というナチスの収容所の話を書いた話の見方から援用しました。
穏やかだった収容所の所員が、収容所内で暴力をひたすらに振るう。
自分が所員だったら?


絶対的な価値観を自分の中で持ち合わせて、それを状況に適用するのかしないのか。
相対でしか語らなれない多様性「みんなちがってみんないい」の世界で、
自分が絶対的な価値観を行使するのかしないのか、ってのは注目に値する。


話が大きくなりすぎた笑。


長いけれど、最後にこの話がどーしてもしたい。


「カプセル」っていうショートドラマがあって。
僕が高3の春に仙台に一人でふらふらしに行った時に、たまたまテレビつけたらやっていた。


あらすじは、
カプセルホテルみたいなところに閉じ込められた4人が、
一定時間ごとに「一人選ぶなら誰が死ぬべきか」という投票を迫られる。
で、一人一人死んでいく、っていう似たようなサイコパニックドラマ。


これを思い出したんだけど、
別に誰か見ているわけでもないので、誰とも話題が共有できない笑。
ググったりしまくったんだけど、実態がはっきりしない。
この間、あまりにもこのドラマのことが気になって、図書館に行って調べた。
新聞の縮刷版で2006年4月5日のテレビ欄にあるのをきちんと見かけて、マジでホッとした笑。


このドラマ、もう一回見たいんだけど、なんか術ないんかな…
もう4年もたつのに、気になり続けている、実は。
不思議な縁だな、って思わされる。サイコパニックものを見ると、いつも思い出す。