人と話すこと

長いこと人と話すことについて考えている。
事の発端は、まぁ大したことではないのだけど笑。


一番最初に気付いたことは、「ダイアログと言う名のモノローグ」現象。
会話のように見えて、言いたいことを飛ばし合っているだけ。
スイーツ(笑)女子の会話だと思えばよくて、
「え、私の彼氏○○なんだよね」「えーありえなーい、でも私の彼氏もね△△でさ…」「えーありえなーい」
あるいはただの自己顕示欲垂れ流し。


これを見てから、人と人は何のために話すんだろうな、と思った。


で、結構いろいろ工夫して、
なんとなく最近は「相手が満足してくれる」ラインは意識できるようになった。
「相手に何与えられるかな」という感じで会話を進めると、大体うまくいく。
アルゴリズムを行使している俺」というのを意識したら必ず負ける。


こういうことを本格的に考え出してから、喫茶店とかで人間観察に励むようになった。
ぼーっと考え事をしながら、周囲を見回して、発している空気を感じる。
特にスタバやドトールにコーヒーなんか飲みに来ない。いろいろあるけど、話に来るのだ。
話している人の空気を感じる。何を何のために伝えようとしているのか。


そんな中で、幸せそうな空気と、きちんと話ができることというのは、
全く違うことだな、ということに気付いた。
会話は成り立ってない、発する言葉の中に他者なんて存在しない。
でもなんか人と人は一緒にいて、そのこと自体に満足する。


この人たちは、何のために一緒にいるんだろう。
幸せだから?何に幸せを感じているの?一緒にいること?
というトートロジーに陥る。


ということで、
何のために「人と話すこと」についての問いを立てたのかが今全く分からないでいる。
話できたら何になるんだろうな。それが全く分からない。


多くの人は、
あらかじめある誰かが作った「幸せパッケージ」の消費に励んでいるんだな、という気もしている。
「欲望は客にない、作りだすものだ」という電通の社訓があるそうだが、本当にそうだと思う。


でも少なくとも、自分の欲しいものだったり、自分が今何をしたいのかだったり。
そういうものは、お仕着せのものじゃなくて、自分の腹の底からひねり出したい。
今はそんなフェイズ。その野望を、会話という中に今見ている。

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今されたいことは、質問されて混乱したい。
誰かが俺の考えを全部破壊してくることを望んでいたりもする。