シャイニングスコーピオン的光景

ちょっと前にまとめた文章を公開してみる。とはいえ今とあまり変わらない。まぁまぁ久々の行き場のない思いである。特に行き先のない思いが交錯し、行き先のない自分がいる。

今現状の何に対して/何がきっかけでそう思ったか、という具体的な話は直接は語らない。だけど、今何を思っているかについて記したい。

行き場のない思いは久々である。
行き場のない思いを最初に感じたのは、あるいは僕の中で「行き場のない」の定義となっているのは、小学生のシャイニングスコーピオンというゲームの経験である。ミニ四駆のゲームで、レースに勝つことを目的としたゲームである。レースで勝つことによりたまるポイントでパーツを買い、強く(速く)なっていく。大きいレースを勝ち進むと、次の大きいレースに進める。一方で、負けると修行街のような街に送られ、そこでのレースに勝たないと本編に戻れない。一度負けると、負けて送られた先で勝たないといけないのだが、一つ注意しないといけないポイントは、買ったパーツが磨耗し、弱く(遅く)なるという点である。レースをするも勝てないとポイントも手に入らず、パーツだけが摩耗し、もういちどレースに挑戦しても負けて戻れない、ということがおこる。小学生ながらに「ああもうここで俺は終わりなんだな…」という気持ちになって、ついぞ29歳になった今に到るまでクリアしていない。また、僕の「行き場のない思い」や「絶望」の基礎を作るに至っている。

この「もうどうしようもない」のような思いを実際に経験したのは、人生の中で今の所2回である。高三の時に東大に落ちたときとスイスにいたときである。

東大に落ちた時、真っ先に思い出したのはシャイニングスコーピオンだった。少し背景について補足しておくと、高校は上20%くらいにいたら高確率で現役で東大に合格する高校で、高三の時は成績がだいたい上20%くらいだった。また、現役生で取れたら受かると言われていた東大模試でのA判定も出していた。僕以上に、周りが受かると思っていたと思う。一方で当時東大に落ちること自体は許容していた。別に落ちても死ぬわけではない、ともともと思っていて、現役で受かった大学に行こうと思っていた。でも問題は落ち方で、苦手だったセンター試験が1点足らずに一次で切られた。現役で決めようと強く思っていたけれど、ここまで不完全燃焼感が残るとは想像していなかった。「受かる」と言われていたのだから、最低限挑戦したかった。「あと1点あったら」という思いが頭を駆け巡るが、その思いがいくら僕の頭の中を駆け巡ってもその1点は動かない。結局他に合格していた私立大学には行かずに浪人することになったが、あの時の「どこにも行けない」気持ちはシャイニングスコーピオンに近い。またそのあと「あの時1点あったら」 のようなことは思わなかったが、もう少し曖昧な行き場のない思いを一年間抱えていた。

#別にいまだに浪人したことに対してコンプレックスがあっていまだに大学受験の細かい点数を覚えている…のようなことでは全くない。むしろこれ以外のことはもうほとんど覚えていない。ただこの時に「受かると言われていたんだから挑戦したかった」と思ったことに付随する感情を強く覚えているという話であるし、それでしかない。

時は過ぎて、大学院生の時にスイスに交換留学した。これは本当に何もうまくいかなかった。寮に入っていた日本人は上手に日本人コミュニティを作って盛り上がっていた。一部の日本人はインターナショナルなコミュニティを作っていた。それを尻目に、僕は細々と授業で仲良くなった人とたまに遊びにいったり、たまに日本人コミュニティに顔を出すもあまり溶け込めず徐々にフェードアウトした。結局最初半年は英語は勉強したけどそれ以外はチューリッヒ湖の辺りでウィンナー食べつつ白鳥にパンを与えながら1日が過ぎていったこと以外あまり記憶がない。そんな中で何かインターンシップや研究したいと思った。まずは研究がいいかなと思い、先生にメールして、受け入れてもらえるということだったが、事務手続きがうまくいかずにポシャってしまった。インターンシップをしようと思い、いろいろ書類を出したが、やはり交換留学生がいきなり職を見つけるのは難しく、履歴書出しても返事は来ないし、返事が来て選考進めようと言われても「スイスの大学はいつ卒業するんだ」と聞かれて、東大の所属であることを説明したらそのまま流れた。「今までどうにかなってきたし、今回もどうにかなるだろう」と思っていたが、ついぞどうにもならなかった。「こんな思いをするためにスイスに来たんだっけか?」となんども思ったが、帰国してもすることないと思い、何もできなかった。時間があったので本当に本当にあちこち旅行した。ヨーロッパは行き尽くしたし、もうヨーロッパに旅行に行きたいと思わないのだけは人生のなかでプラスだと思ってはいる。ただただ時間は過ぎていくが、どこにも行けない思いが、ふとシャイニングスコーピオンを思い出させた。本当に履歴書的には何も大した経験をしないまま、日本に一年経って戻った。残ったのは、微妙に英語に対して物怖じしなくなった根性だけである。そしてそれは英語を操る技術自体とあまり関係がない。ヨーロッパに対していろいろ視点はできたが、直接それが飯の種になることは多分ない。

「何かしようと思っても、どこにも行けない」という思いに、今徐々に近づきつつある。今の場所から俺はどこにもいけないのでは、と思うような出来事が多い。スイスから帰ってきてからは、もうこういう思いはしないと強く念じ、積み上げていったと思っていた。積み上げが微妙にうまくいかないところもあったけど、とりあえず現状ではある。一方で、現状からだんだん行き止まりに衝突しそうになっているのを何もできずに見ている立場になりつつあり、積み上げてきたものが全部間違っていたのでは、という思いが微妙に交錯する。

もう若くない。大学受験なんてどうでもいい。スイスはもう少しやりようがあったと思うが、クソが、インターナショナルな環境でもっとうまくやってやる、って思えなければ今とは違っていたかもしれず、そういう観点からは自分には必要な一年だったのかもしれない。でも、今、ここで積み上げたものが全部間違っていた場合、あるいは間違っている割合がクリティカルな量を超えていた場合、どうしたらいいのかよくわからない。今出口がないのか、それともただただ運が悪いのが少し続いているのか、よくわからない。