独立でも同分布でもない確率変数の和に対する数値実験

独立同分布の確率変数の和は,極限かますと,
元の分布の平均μ,分散σの正規分布になることは中心極限定理としてよく知られた事実.


だけど,独立でも同分布でもない確率変数の和にどうアプローチしていこう,
というのが今回の趣旨.


まず,なんでこんなことを考えたか.

問題が解けない.

ひとえにコレ.

X_{j}は標準正規分布N(0,1)に従うとして,

 \displaystyle A_{1}=0\\ A_{k}= \frac{1}{k^2}\sum_{s=1}^{k-1}sX_{s}^{2}\\ B_{n,k}= \frac{1}{(n - k + 1)^2} \sum_{t = k+1}^{n}(n- t + 1)X_{t}^{2}\\ B_{n,n} = 0

としたときの,

 Z_{n}= \frac{1}{\sqrt{n}}\sum_{k = 1}^{n}A_{k}X_{k}B_{k}

の極限分布を求める問題.

僕が受ける大学院の去年の問題.(参考

この各項は明らかに独立でも同分布でもない.
独立でも同分布でもないものに対する極限定理を持ち合わせていないので,手も足も出ない.
しょうがないので,数値実験を回してみた.



使った乱数はメルセンヌツイスタ,box muller法で正規分布に変換した.
n=10000として,サンプルとして10000個取ってきた.

みた感じN(0,1/3)の正規分布っぽい...

そもそも係数の1/√nがさそってる感じがしたので,正規分布に収束するような気もしていたが,
さて,独立でも同分布でもない収束定理が何かあるものかないものか...



ちょっと気になったので,他にも数値実験を回してみた.
ここからはnは1000,サンプルは100000とった.
(nの数はある程度大きければ特に関係なく,サンプルの数はきれいな分布を出すのに重要だということが分かったから笑)

まず,

\frac{1}{\sqrt{n}}\sum X_{i}^2

正規分布の2乗は一般にχ2乗分布と呼ばれていて,またこれは独立であれば再帰性も持ち合わせた分布であることはよく知られた事実.
再帰性があることは,特性関数から容易に確かめることができる.

これは独立同分布の和なので,

係数調整すればN(0,1)の正規分布に収束するはず.

ってことは,χ2乗分布も無限に足すと正規分布に収束するのか,中心極限定理恐ろしい.


で,次に

\frac{1}{\sqrt{n}}\sum X_{i}X_{i + 1}

で一個indexをずらしてみた.

各項は,同分布ではあるけど,独立ではない.


N(0,1)の正規っぽいな...

各項はN(0,2)の正規分布であることは,これも特性関数から容易に確かめることができる.

[8月4日訂正:違う、これは積だ…]
でも,それを足し合わせると,N(0,1)の正規分布っぽくなってる...


で,さらに,

\frac{1}{\sqrt{n}}\sum X_{i}^{2}X_{i + 1} X_{i+2}^{2}

今回の問題の分布に近い形.
各項はχ2乗分布*正規分布*χ2乗分布みたいな形.
同分布ではあるが,独立ではない.


で,数値計算を回すと

なんだろこれ...N(0,9)とかだったりするのかな...
分散は不明ですが,とりあえずまた正規分布っぽい形が出てきた.


ある程度の条件を満たせば,独立でも同分布でもなくても,中心極限定理みたいなのを満たす気がしてきた.
しかも,正規分布に収束する何か.
それとも,これ,正規分布っぽく見えてワイブル分布だったりするのかな.


ちなみに,大数の法則に関しては,元の確率変数列が独立というのは必要条件でないことが,かのMarkovによって示されているそうだ.(参考


従属性の中心極限定理は,ググるとすぐ生きている人の論文になるくらいにマニアックな話題みたいなだな...


ということで,インターネットの片隅に,数値実験の結果をおいておくので,誰かこれを理論化してもらえますか,という記事でした.


なお,実はこれは解けたので,続編の記事を書きました.

研究したくない人のための研究入門

僕の所属する学科(工学部)では、前期に2つの研究室に配属されて、
それぞれ1ヶ月という短い時間で研究し、その成果を発表とレポートにさせられる。


あんまり時間をかけたくなかったので、まっすぐ向き合ったわけではなかった。
だけど、それゆえ、ちょっと工夫して、2つも配属されて失敗もたくさんして、
ある程度知見もたまったので、まとめておこうと思う。


『研究したくない人のための研究入門』


研究がカリキュラムに組まれているけど、よくわかんないし、時間はかけたくない…
そういう人が、時間をかけずに、結果までたどり着く方法について考察する。
対象は、一般的な工学研究を想定しています。


0.基本方針


「サボる路線ではなくて、ゴールを決めてexitを早くする。常に整理して無駄のないように。」


コミットを外すことによる時間の節約は何にもならない、というのを痛感した。
なので、とにかく早く効率的にゴールにたどりつく、ということを考えた。
そして、「しなくてもいい無駄足」と「はまっておくべき型」がたくさん存在する。
実験結果を出し、発表、論文というのは必ずついてまわるので、
完成品を常に意識して行動する。


概要
動機
主張
その主張を何が保証するか(実験、理論etc.)
結果
考察(主張につなげる)
今後の課題
結論


筋の通ったこの一連の項目群をもって、一個の成果と呼ぶことにする。
この項目をいかにさっさと筋を通しながら満たすか、を考える。


1.テーマ選び


やりたくないことだろうとも、これは多少なりとも自分の興味のあることを選ぶべき。
「これできて何になるの?」「これ面白くない…」って思うと負けてしまう。
はやくexitを目指すには、とにかく自分の手で、
小さいなりにも主張とそれに対するサポートを作るべきなので、
自分の手で進める気にならなくなったら、精神的重荷にしかならない。


2.先行研究調査・予備実験


何のためにするかというと、主張に当たりをつけるため。
最後論文やプレゼンなどで何を主張したいのか、
その正しくなされた主張を「成果」と呼ぶので、これがなされないとあがることができない。


先行研究を調べたり、予備実験したりしながら、手を動かして知見をためる。
「自分の感覚として」何が正しそうで、何が正しくなさそうで、どういう空気感なのかをさっさとつかむ。


そして、とにかく主張したいことを形にする。
主張したいことを紙に書き下す。
問題と解決の形に分ける。


3.主張が決まったら


主張が決まったらするべきことが3つある。


i .応用先を考える
ii .何が言えればそれが主張できるのかを考える
iii.最初から最後までの流れを全部一枚の図に起こしておく

主張が決まったら、最後の形(論文、プレゼン)を意識し出だすべき。


i. 応用先を考える

その主張がなされたら、これは何になるんだろう、これができたら何に役に立つのか、と考える。
スライドや論文で言えば「動機」にあたるところを考える。
(知らないけど、どんなことをやっている誰にreferされるか、というのを考えればいいのかも)


これは、主張の本質を見極める作業になる。
応用するには、ある程度適用する形に変えないといけないが、
自分のやった環境をとっぱらっても活きることはなにか、を考えて、
主張をより明確化する目的もある。


さらに、応用をちょっと遠めに設定して、
この主張は、それが実現されるまでのロードマップの「どこらへんか」を考える。


何のためにするかというと、
これをすると、「次の一手」のアイディアが割とたくさん出てくる。
で、これらの中で、簡単に主張できそうなものは主張する、
できなさそうなものは「今後の課題」項目に放り込んで適当にどうすればいいかを提案すればよい。


ii.何が言えればその主張がなされるのかを考える

主張それ自体は、何によって保証されているのか、
その保証を探すのが研究の肝。


なので、主張を論理的に切って、さっさと問題の形にする。
で、その問題を解決するための手法を簡単に実現できそうな範囲で探す。
簡単にできなさそうなら、切り方を変える。
さらに無理そうなら、「今後の課題」に放り込み、主張それ自体を小さくする。
解決しないことがわかったら、考察をして逃げ道を探る。
あるいはそれを成果としてしまう。


iii.最初から最後までの流れを全部一枚の図にしておく。

何か論理の流れがあるはずで、完成品用の論理の流れを常に一枚の図にしておく。


そうすると、

未処理タスクは何か
どこが今は足りないのか
次の一手はどこに向かえばいいのか

がわかる。


4.形にする


上のi, ii, iiiをきちんと続けていると、結構早く形ができるはず。


全部終わったときに,iiiの図が組みあがっていたら勝ちで、
もう研究の成果としては出ている。
なので、あとはそれを形にするだけ。


形にするときに気をつけることは、「先輩のをパクる」
面倒がってこのプロセスを怠ると大変に面倒になる。
これらに関しては、決まった型が存在する。


なので、例えば、パワポならいろんな人に話を聞いて、
どうパワポを作ればいいのか、という話をあらかじめ聞いておく。相談する。
自分のやろうとしていることでは、
どういう風にしてパワポを作るのがいいのかを一番知ってるのは先輩。


さらに、論文も形式を完全にパクってしまう。
これも書き方がわからないと苦労するので、先行論文の型をパクって形にしてしまうのが手っ取り早い。


こうして完成品としての成果が出来上がる。


5.まとめ


言いたいこととしては、
面倒がって何もとっかかりをつけないと、それこそ無理。
なので、さっさと動いて、足場をさっさと組んでしまうのが手っ取り早い、ということ。


それに関しては、決まった型が存在する。
その型を埋めるようにして、完成品を意識しながら行動すると、さっさと「成果」につながるな、と思った。
この型を知らないと、大変に面倒かつ泥臭いことをたくさんさせられる。



もちろん、この成果は「大きな」成果になるものを目指していません。
どうすれば、効率的に成果にたどりつくか、について議論しているもので、
どうやったら大きな成果が出るか、については議論してません。



6.おまけ


・使うのは人

とにかく議論に詰まったら他人を呼ぶ。
突破しようとして「これがなんとなくわかんない」じゃなくて、
何に困っているのかをとにかく明確化してから人と議論をする。
オーバービューを見せて、何が問題かを指摘してもらう。
で、解決案を簡単に提案してもらう。


やることは、これを実行に移すことじゃなくて、これを吟味すること。
視点をもらっただけなので、これは「解決案」ではないことを意識しないと、
結局どこに向かっているかわからなくなる。
結果として安易に動くと無駄足になる。
(「手法」をたくさん提案してくる先輩がいて、どうすればいいかわからなかった。)


・研究室は社会

狭いなりに研究室は社会。
その社会を支配する文化、もっと言えば「宗教」みたいなのが大抵存在する。


それをさっさと汲み取って、自分のポジションを考えて、
どうすれば効率よく効果的に「利用」できるのか、を考えるのが早い。
これに失敗すると、先生の機嫌を損ねたりして、
変にぎくしゃくする。(実際やった笑)


コミットする気がないなら、
そういう「社会」につきもののいざこざを効率よく避ける方法を考えるのが早い。
研究室の人と「おともだち」になっても、効率という観点からの研究の成果には一ミリもつながらない。
なることは悪いことじゃないし、それが最適戦略のときもあるけど。



・発表の時に「ごめんなさい」という準備をしておく

研究活動に対して後ろめたい気持ちがあると、認めてもらおうと無理に通そうとする傾向がある。


質疑応答で、ツッコミが入ったときに無理に自分の主張を通そうとすると、微妙な空気になる。
質疑応答は、質問に対して「反論」をする場ではなくて、より発展する、建設的な「議論」の場ととらえるべき。
もし自分の不備があるなら、きちんと認めるのが完成品である「成果」に対しては近道。
自分の研究は、動機に対しては「未完成品」であることが多いので、それを真に肝に銘じておく。
この場を無駄にして「彼は無駄だったね」と思われる人がぼちぼちいるなぁ、と思った。
過去の僕とか笑。


質問がわからなかったら、すぐ反論に入るんじゃなくて、
質問の何が分からないかを考えて、質問し返して、相手の質問を明確にするくらいのことをする。


「それは主張できない」と言われたときにもすることは「反論」じゃなくて「質問」
「どうして相手はその主張をするのか」をきちんと把握する。
それに対して、納得できたら、現状から、何を改善すればいいのか、の議論にもちこむ。



これは痛いほど感じたので、一応おまけに入れておきました。

平日の昼間に外を歩いている人

小学校2年生の時の話。


そのころから人の話を聞けない子で、
授業中に外を眺めていた。


おばさんがシャベルを持ちながら、犬の散歩をしていた。
その10分後くらいに、スーツを着たお兄さんくらいの人が歩いていた。


これを見たとき、僕はこの2人に強烈な印象を感じたのを覚えている。
憧れを抱いていたのかもしれない。
この授業時間の印象は、全部これに持ってかれていた。





時は変わって、大学4年生。
僕は、平日の昼間に外を歩く人になっていた。


平日の昼間、ふらふら外を歩いていることは、ほぼ日常となっている。


よく考えたら、同期で外を平日の昼間にふらふら歩いているやつなんていない。
みんな、大学にいる。


僕は、みんなが普通にしていること、できることを積極的消極的に放棄しながら、外を歩いている。
今日も、別に取らなくてもいい授業を取っている。
別にしなくてもいい勉強を喫茶店でしている。


何してるんだろうな、ってふっと思う。
普通にやっていれば、あるいは、普通にやることができていれば、僕はこんなところにいない。
みんなと同じ授業に出て、みんなと同じように研究室にいるはずだった。



平日の昼間に外を歩きたくても歩けなかった高校までの生活は、
常に施設と言う箱の中にいた。


平日の昼間に外を歩けるようになったはずの大学1、2年のころは、
外を歩きながらも、ずっと自分の所属しているものを常に裏に意識していた。
ある時はサークルの一員、あるときは東京大学の学生として。


ここ1年半ほど、いつも何かを決めるのは自分だった。
わざわざ知見と知恵と聡明さに基づいたレールが用意されていたのにもかかわらず。


今ここにきて、僕は何にも所属意識を感じていない。
いろんな所属は、名義上の物で、拘束条件でしかない。


あの時あこがれていた、平日の昼間に外を歩ける人というのは、
裏に「責任」が伴うものなんだな、と痛感した。


自分で決めることはとても大変だし、正しい、あるいは効果があることなのかも全くわからない。
どこに向かってるのかも全く分からない。
それは全部自分のせい。


そんなこんなで、
ここ一年半ほど痛烈に学んできたことは「平日の昼間に外を歩くことのむずかしさ」
だと最近思っている。

人と話すこと

長いこと人と話すことについて考えている。
事の発端は、まぁ大したことではないのだけど笑。


一番最初に気付いたことは、「ダイアログと言う名のモノローグ」現象。
会話のように見えて、言いたいことを飛ばし合っているだけ。
スイーツ(笑)女子の会話だと思えばよくて、
「え、私の彼氏○○なんだよね」「えーありえなーい、でも私の彼氏もね△△でさ…」「えーありえなーい」
あるいはただの自己顕示欲垂れ流し。


これを見てから、人と人は何のために話すんだろうな、と思った。


で、結構いろいろ工夫して、
なんとなく最近は「相手が満足してくれる」ラインは意識できるようになった。
「相手に何与えられるかな」という感じで会話を進めると、大体うまくいく。
アルゴリズムを行使している俺」というのを意識したら必ず負ける。


こういうことを本格的に考え出してから、喫茶店とかで人間観察に励むようになった。
ぼーっと考え事をしながら、周囲を見回して、発している空気を感じる。
特にスタバやドトールにコーヒーなんか飲みに来ない。いろいろあるけど、話に来るのだ。
話している人の空気を感じる。何を何のために伝えようとしているのか。


そんな中で、幸せそうな空気と、きちんと話ができることというのは、
全く違うことだな、ということに気付いた。
会話は成り立ってない、発する言葉の中に他者なんて存在しない。
でもなんか人と人は一緒にいて、そのこと自体に満足する。


この人たちは、何のために一緒にいるんだろう。
幸せだから?何に幸せを感じているの?一緒にいること?
というトートロジーに陥る。


ということで、
何のために「人と話すこと」についての問いを立てたのかが今全く分からないでいる。
話できたら何になるんだろうな。それが全く分からない。


多くの人は、
あらかじめある誰かが作った「幸せパッケージ」の消費に励んでいるんだな、という気もしている。
「欲望は客にない、作りだすものだ」という電通の社訓があるそうだが、本当にそうだと思う。


でも少なくとも、自分の欲しいものだったり、自分が今何をしたいのかだったり。
そういうものは、お仕着せのものじゃなくて、自分の腹の底からひねり出したい。
今はそんなフェイズ。その野望を、会話という中に今見ている。

                • -

今されたいことは、質問されて混乱したい。
誰かが俺の考えを全部破壊してくることを望んでいたりもする。

セミナーの感想

この間はセミナーだった。可換環論。
Atiyah-MacDonaldのAn Introduction to Commutative Algebraを読んでいる。
内容をブログでまとめるのは時間がないからなのか、やめてしまった。


自分の発表だった。
さすがに発表も3周目だったので、
なんとなく「どうなったらまずいのか」というのだけはわかるようになった。
最初は本当にひどかったな、と今にして思う。よくあんなのでやってたな。


数学は論理の演繹で作られている学問で、
もちろん、演繹の方向感覚みたいなのはあるけど、
それも全部論理として矛盾ないのは当然のことながら、
飛躍ない議論を展開できなければならない。
飛躍がゆるされるのは、真に理解してから。


で、大抵の場合、紛糾するのは理解不足のところから。
質問が入って、自分で証明を展開することになる。


理解不足を減らそうとする努力は出来るようになったな、と思う。
もちろんまだまだ減らないけど。
一行一行、なんじゃこりゃって思いながら、読む。
わからない言葉や記号や演繹があったら徹底的に明らかにしないといけない。


さらに、ごまかしたくなる自分と戦わないといけない。
いやこれそうだろ…と思いつつも、証明がつなげない限り数学として「予想」のままだ。


厳密なレベルで話をつなぐことにフォーカスしすぎることだけも実はよくない。
話の精度が変わっても、きちんと話ができないといけない。
証明のアウトラインはこうだった、とか、ここがポイント、とか。
図形的なイメージ、というのはたぶん大事。
抽象的な証明に、絵をつけてみる。絵でも理解できるようにするのも大事。



いつも、紛糾するのは反省するんだけど、
さらなる反省点として、紛糾してからのリカバリーが遅い。
どうやろうかな、という手法を全く持ちえない。
そういえば、演習問題を解くというまともな訓練を全く受けていないのもあって、
(独学とはこういうことなんです笑)
どういう「手法」で証明を展開するか、というのを全く説明できない。
感覚的にはこうだろう、とは思っても、きちんとつなげない。つなぐ言葉がない。


原因はなんとなくわかっている。
セミナーをやると、大抵テキストがあるんだけど、それに依存し過ぎている気がする。
理解はしている。読めはする。読めばわかる。でも自分の中には入っていない。
メモが手放せない。一行後に何が書いてあるかをノート見ないとわからない。


河東先生という人が、セミナーのやり方という記事を書いている。
割かし有名な話なんだけど。


僕が上で述べていたことは、この記事の一段落目にすぎない。
この記事を大学二年生くらいで最初に読んだとき、
「うはっ数学科気持ち悪いなこんなんほんとに言ってんのかよ…」と思ったけど、
実際これくらい最低限できないと、数学できないんだな、と最近は心の底から思う。


最後は自分でまっさらの状態で命題を立てて、証明できないといけない。
少なくとも、証明するには、いろんな証明の「方向感覚」「厳密感」「手法」などなど…
全部僕のキーワードなんだけど、そういうものが必要で。


それを全部身体に血肉化しないと数学はできないな、という気がしている。



テキストは最初は対話相手である。
人が作っているものなので、実はものすごく人間くさい。
テキストを書いた人間の人生を垣間見ないといけない。
この人は何を知っているのだろうか、どんな気持ちで証明にこれを選んだのだろうか、
この定理は一体なんなんだろうか…
そして、テキストという物との対話を終えたら、今度は自分が発信しないといけない。
どういう方向なのか、これは一体なんだったのか、数学的にきちんとしたことなのか。


最後は人に届けないといけない。
さらに、数学という、誰からも独立したモンスターに命を与えないといけない。
そしてそれらはまだまだ遠い。


次のステップは、(もちろん現ステップにも反省点は多々あるけど)
理解から、気持ちを汲むところに。
真に理解することから、さらなるステップとして、自分の中に落とし込むところ。
次はここかな、と思っている。

最近読んだ本

最近読んだ本を。

あとでまとめて書きたいな、と思うものもあるし、
さらっと紹介したい本もあるかな笑。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質


旧日本軍が「戦略として」どうして大東亜戦争に敗れたか、というお話。
大抵の場合、この手の議論は「どうしてこのような戦争に及んだのか」
というお話になりがちだが、そうじゃなくて、もっと戦略としてどう評価されるべきか、
というお話。


僕は頭が右でも左でもないので、戦争自体の評価は特に積極的にしてないのですが、
組織論の話として面白い。


ケースを6つ分析して、旧日本軍がどのような組織だったか、
特にアメリカ軍との戦略の差はどこにあったのか、という説明がなされる。
これはいつかまとめたい。


歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)

歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)

歴史の教訓


かの有名な藤原帰一先生の授業に一年半ほど前に出ていたとき、
なんどもこの本を引用していた。

アメリカ軍は近代戦を戦いぬく組織力があるんだ、すげー、
って無意識に「失敗の本質」で思われてたわけだけど、
アメリカもアメリカで外交史でたくさんの失敗している。


歴史上の「こうであっただろう」という参考を、
あまり深く考察せずに行い、あるいは無視して、さまざまな失敗をした様をケースを元に暴き出す。


結論は「歴史は歴史家に、そして歴史家に提案させなさい」という話なんだけど、
それより前に、「アメリカは、10年20年のうちにアメリカ型経済が無遠慮に入って行った国からしっぺ返しを暗いだろう」的な話があった。
1970年代の話。
見方によっては911っぽいことが起こることを予言できていたのかもしれない。
ということで、それなりに話題になったらしい。
これもいつかまとめたい。


方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

方法序説


科学史だと一番最初に出てくる人、らしい。
少なくとも僕はそうならった。


われ思う、ゆえに我あり。


この一言は、「すべてのことに懐疑的にならないと真理は発見できません」というデカルトの根本思想があって、
その懐疑に耐えうる人として、「思考するゆえに私は存在する」という話。
ちなみに私の存在まで懐疑的になれるので、そうなると私が考えていることすら信用できない。
そんな中、客観性の担保として「神」というものが存在することを示す。


特に物理をちょっとやったことがあるなら、「あ、なるほどね」って思えるような書き方。



これもいつか…


コーチング・バイブル―人と組織の本領発揮を支援する協働的コミュニケーション (BEST SOLUTION)

コーチング・バイブル―人と組織の本領発揮を支援する協働的コミュニケーション (BEST SOLUTION)

コーチングバイブル


人と話すことに悩んでいたときに読んだ本。
人のしたいことは何か、どうしたら人は自分でそれに達成することができるか、
というところに着眼して、プラティカルなコミュニケーションスキルを分類した本。


確率論と私

確率論と私

確率論と私


確率微分方程式創始者伊藤清の本。
伊藤清の数学観が分かった上で、確率論の現在に至るまでの流れの中で、
伊藤清がどのような仕事をしたのか、がわかる本。


この本自体は軽いエッセイなんだけど、
いわゆる測度論的確率論の話が少しわかってないときついかも。
Kormogrovが公理化した確率論の話から、
Lévyが構築した理論を見通しを良くしたという仕事から入って、
確率微分方程式を考え出したよ、というお話。


いくつかの定理をしらないと、ちょっと面白くないかも。
なんだけど、こういう確率論をやる人は本当に限られてるから、なんともいえんね笑。


The Elements of Style, Fourth Edition

The Elements of Style, Fourth Edition

The Craft of Research (Chicago Guides to Writing, Editing, and Publishing)

The Craft of Research (Chicago Guides to Writing, Editing, and Publishing)

  • 作者: Wayne C. Booth,Gregory G. Colomb,Joseph M. Williams
  • 出版社/メーカー: University of Chicago Press
  • 発売日: 2008/04/15
  • メディア: ペーパーバック
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the elements of style
the craft of research


英語の文章の構成の仕方の本。
下は、研究のはじめ方から論文の構成のしかたまで書いてある本。


英語の文章を書くときに本当に参考にしています。


「型」というものについてものすごく考えさせられた。
「型」と向き合う、という視点をくれた本でもあります。


Norwegian Wood (Vintage International)

Norwegian Wood (Vintage International)


Norwegian Wood


ノルウェーの森を英語で読んだ笑。
もともと翻訳文学は、原文で読むべきだ発想がはって嫌いだったのだけど、
原文を楽しめるほどの語学力がつくのはいつやら、となって大学2年の後半でぼちぼち読み始めた。
じゃあ逆に日本語の外国語への翻訳はどんな感じなんだろう、と思って手にとった。


ノルウェーの森は読み返すたびに発見がある。
今回は渡辺と直子の話じゃなくて、渡辺と緑の話だと思って読んだ。

読むたびに「ながさわさんにはなれねぇなぁ」と思わされる。
一番あこがれるのはこの人なんだけどね笑。


とはいいつつ、ハルキストは卒業してしまったうえに、
ノルウェーの森が春樹文学をもっとも実現した形だ…!というつもりもなく。


しいてそんなもの挙げるなら


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

回転木馬のデッドヒート


だと思っています。
これは定期的に読み返す。



最近読んだ本はこんな感じ。
これらの本はずっと積んでて、ようやく処理したんだけど、
またamazonからいろいろ仕入れたので、しばらくそれらの処理に追われそうです笑。

(500)日のサマー 二度目

(500)日のサマー
を見ました。
以前紹介したような話。


この映画を2度目に手に取った理由として、
小品な作り込まれた映画を見たいなーと思ったから。
Air Franceの飛行機の中で、PaPaというフランス配給の小品な映画を見て、思いだした。
PaPaについては、また今度。


以前も書きましたが、
小悪魔サマーと「恋を信じる」男トムのお話。

運命なんてまやかしよ、というサマーと、
いやそうじゃない絶対にある、というトム。


やがて二人は友達を超えた関係になり…


という話なんだけど。
感想は前とあまり変わらないから、以前のを見てもらうとして。


この映画、男が見るか女が見るかで、かなり感想が違う。
僕はある程度トムの気持ちが「わかるなぁ」と思いながら見てたのだけど、
とあるブログで、サマーがトムを「運命の人」だと思えなかったポイントを2点指摘していた。


一つは、よってきたナンパに対してサマーをかばわず、ただ殴りかかっただけのところ、
もう一つは、映画「卒業」を見て、トムがサマーに「ただの映画だから」と言ったところ。


細かいところ見てるなぁ、俺はこれに気付けなかった。
ただ単に、サマーが小悪魔だと思って、男の話だと思って見ていた。
感情移入すると、こういうことが起こるんだな、と思わされた。


さて、やっぱり好きだったのはこのシーン。
サマーに婚約者ができたことに気付いたトムが、
無気力ながらも、職場に出てくる。
で、ミーティングに行く。
他の人が作ったカードを滔々と否定し出す。


あまりにもゾクゾクしたので、このシーンのセリフを全部書き取ったので、転載します笑。
Go for itとYou can do itというメッセージカードに対して滔々と否定するシーン。
猫(Pickles)がビルから飛び出す写真とともに、このメッセージが添えられている。
Mr.Vanceというのは上司です。



No disrespect here but this is totally shit. Go for it, You can do it, that's not inspirational. That's suicidal. If Pickles goes for it right there, that's a dead cat.
These lies, we are lairs. Why people buy these things? It's not 'cause they want to say how they feel but they can't say how they feel or they are afraid of.
We provide the service that lets them off the hook. You know what? I say, to hell with it! Let's level with America. At least let them speak for themselves!
Right? I mean, look! What is this? What does it say?
"Congratulations on your new baby." Right? How about "Congratulations on your new baby. That's for hanging out. Nice knowing you."
How about this card? I know where this is going. "Happy valentine's day, sweetheart. I love you." That's sweet! Ain't love grant?
This is exactlly what I'm taking about. What does that even mean, "love"? Do you know do you, anybody? If somebody gave me this card, Mr.Vance, I would eat it.
It's these cards, and the movies, and the pop songs -they are to blame for all the lies, and heartache, everything.
We're responsible, I'm responsible. I think we do bad things here. People shoud be able to say how they feel -how they really feel. not you know, some words that some starangers put in their mouths. But that don't mean anything.


...Sorry, I'm sorry, I quit. There's enough bullshit in the world without my help.


といって、やめてしまう。
もともと、落っこちてあきらめかけていた建築の職業を探し始める。



以前も書いたけど、
やっぱり僕はこの映画ではこのシーンが大好きだ。
一番の見どころだと「僕は」思った。
2度目みても、このシーンは本当にゾクゾクする。


なんでこんなことをトムが言い出したか、というと、
やっぱり今まで信じていた「運命」だとかそういうものに対しての懐疑の目線だろう。
信じられなくなった、でも今までそんなことをそれっぽく使っていた。
そしてそういう職業であったカード作成というものに嫌気がさした。
自分の気持ちに正直になるべきだ、という思いもあって、建築をもう一度志した。


まぁ、あんまりこのシーンだけを滔々と語っても、
それもそれで映画としての全体感を損なう気もするので、やめておきます。



この映画、ちゃんとオチも付いていて、爽やかだなーと思いました。
嘘だ、と言い出したトムが「世の中にあるのは偶然だけ」という結論に達したのも、
なんか納得がいく。


DVD1000円だし、買おうかなぁ。
でも、いつか、この映画を観なくてもいい日が来るといいな、と思っています。


この映画は、弱い人へ。

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Trailerみると、映画の見どころはどこにあったのかな、と思ってしまう。