進学振分けの理論上の最低点

後輩たちが進学振分けについて話していて懐かしいなぁと思うと同時に,
昔,進学振分けに進む理論上の最低点を調べてmixiの日記に書いていたことを思い出したので,
転載しようと思いました.

なお,mixiと言ってることからわかるように,
結構前の話で,この記事の筆者は2008年度理一入学です.

「進学振り分けの理論上の最低点」

僕が理一なので、理一の場合で計算しています。

1.スタンス

進学振り分けの対象になっても、3年に進級できなきゃしょうがない。
ということで、3年に進級できるように最低点を目指します。
留年、降年するといろいろめんどくさいので、2年で教養前期を脱出することを考えます。


2.対象になるには

とりあえず、3学期までこぎつけることが大事です。
進級しないといけません。


理一の場合

初修外国語 8単位平均40点

既修外国語 8単位平均40点

数理科学 6単位

物質科学 4単位

総合科目 8単位

その他 4単位

を2学期までにそろえないといけません。


加えて、進学振り分けの対象になるには

既修外国語 10単位平均40点

基礎物理学実験または基礎化学実験 2単位

の取得が必要です。

さらに、3年生になるには、76単位そろえないといけません。

3.基本方針

4学期に頑張る。落とせるものは欠席で落とす。追試は受けない。

4.とりあえず計算してみる

つまるところ、

進級の要件+初修外国語10単位平均40点+実験2単位取得

で進学振り分けの対象になります。


いろいろ細かい救済制度があるので、それらを避けて通らないといけません。

・その他の単位は主題でそろえる。

理由:総合の点数を上げないため


・構造化学(2学期)は何がなんでも0点で落とす。

理由:物性化学(3学期)を欠席をつけると、見込み点として構造化学の半分の点数がつきます。余計な点数は上げたくないので、欠席、かつ追試放置。(3年に進学するには、追試を通さないといけないのですが、追試前に進学振り分けが終わるので、欠席で落とします)

これで点数を計算すると、、、

720点(外国語18単位40点)+300点(数理科学6単位)+200点(物質科学4単位)+400点(総合科目8単位)=1620点

で、これを進学振り分けで使う66単位で割ると…

24.54545454…点

進学振り分けの最低点は24.55点でした。


5.もっと頑張る指針


上には上がいるように、下には下がいます。

・何をするか

もう素点の和の最低は、1620点でこれ以上落としようがありません。

→分母を増やせばいい!

→ということで、総合科目を出来るだけ履修して、分母を増やすことを考える。


※新しい進学振り分け制度では、欠席も合計に算入されます。


6.もっと頑張るには


空きコマは全部総合科目で埋めることを考えます。25コマフルで履修することを考える、ということです。(もちろん欠席0点を出します)


まず、進級の要件である

数理科学 6単位

物質科学 4単位

を1学期のうちにそろえます。

不足必修分は他クラをしないと、3年生になれません。

ですが、使うのは3学期までの成績です。

なので、1学期分の必修は1学期のうちに修めておいて、貴重な3学期の空きコマの枠を他クラには回しません。

かつ、他クラの追試が終わる前に進学振り分けが終わるので、本試験は欠席します。(追試を通さないと3年にはなれないので、追試は通します)


1学期の必修のうち、3学期も履修しなければならないのは
情報、生命科学
のみです。(スポ身は4学期にまわします)


2学期は、外国語に気をつけながら、全部欠席を出します。

3学期も、外国語に気をつけながら、欠席を出します。

実験は2、3学期のうちにどちらかで2単位修めれば大丈夫です。

物性化学は、追試にまわします。

となると空きコマは

1学期 13コマ
2学期 13コマ
3学期 19コマ(他クラ2つ分を差っぴく)


これらのうち4コマを50点で取得する総合科目(1、2学期のうちに)
2コマを主題
に割きます。


よって、39コマを0点の総合科目に割けます。

0点の総合科目は78単位分存在しますね。
このうち8単位が重率1で0点算入、残り70単位が重率0.1で算入されます。
よって分母は66+70×0.1=73単位。


1620点÷73=22.1917…

以上より、進学振り分けの理一の理論上の最低点は22.19点でした。
(集中講義の総合科目を頑張って取って欠席すればそこそこにもっと減るのかな。10単位0点を稼いだとして74単位を分母とすると21.89点)


もっとも、4学期の2学期分の他クラが減るように考えないといけないのですが
まずは、授業が少ない文学部か教育学部駒場に残る教養の底割れ学科に進学することを考えないといけないのかな。
3学期の追試は全部乗り切ります。そうしないと2学期へ逆戻りです。
で、4学期の他クラは

・外国語の平均をあげることを一列二列の片方だけ履修してあげることを考える。

・スポ身を2単位取得

・実験
なので、12コマかな。

7.結び

いろいろ履修の手引きも遊んでみると楽しい。
試験前シンドローム


※内容が違っていたら教えてください。

日本のIT企業のアカデミアにおける存在感の話

Why a deep-learning genius left Google & joined Chinese tech shop Baiduという記事を見て思ったこと.
Andrew Ngという,ディープラーニングというビッグデータ解析の注目されている手法でトップを走っていたような人が,GoogleからBaidu(百度)という中国のGoogleのパクリのようなサービスをやっている会社の研究所に移った,という話().Baiduの羽振りの良さなど,Baiduがシリコンバレーに研究所を建ててディープラーニングに賭けている様がひしひしと伝わるようなことが記事に書かれています.

これ見て思ったことは,日本のITの会社がアカデミックで存在感がないのどうなの?という話.

コンピューターサイエンスの学問の世界は,雑誌(ジャーナル)じゃなくて,国際学会がメインの戦場で,権威のある会議に通すことが偉い業績として認められます.その国際学会につく企業スポンサーを見ていると,あぁこの業界はビジネスの人たちから見ても戦場なんだなぁ,というくらい,様々な分野のリーディングカンパニーがずらりと揃っています.
例えば,この間あったKDDというビッグデータ解析で最も権威のある会議のスポンサーを見てみると,
一番偉いスポンサー:Bloomberg,
二番目に偉いスポンサー:BOSCH, facebook, Microsoft, rapidminer(ビッグデータ解析のソフト開発の会社)
三番目に偉いスポンサー:amazon, at&t, Baidu, booking.com, Google, 華為, Goldman Sachs, IBMの研究所, Yahoo!の研究所etc…
などなど,ちょっと前まで,有名な研究所を持つアメリカのIT企業とGoogleしかスポンサーにいないような感じだったのに.ITから重機金融まで,いろんな業界からガシガシ乗り込んでる様が見て取れます.ほかにもデータを扱うような会議であるVLDBだと,そろそろアメリカで上場するAlibaba(中国のe-コマース)とかいたりして,まさに戦場みたいになってます.

こう見ると,日本企業はやっぱりいないなぁとどうしても思ってしまうんですよね.IT業界はアメリカが強いという話ですが,冒頭の記事のように,後発の中国系IT企業も研究開発に投資を始めている様子が,会議のスポンサーとか眺めているとよく見えてくる訳です.

Googleなどのリーディングカンパニーは,もはや世界一になることにはあまり興味が無くて,まだ見ぬ「近い未来」を作ることに興味があるきがしています.それを牽引するであろう研究開発に莫大な投資をしている様が会議のスポンサーとか論文とかを通してよく見えます.Googleで言えば,自動車とか,Glassとか,Amazonで言えばヘリコプター使って30分で物を届けるシステムとか.こういう「今はないけど近い将来の普通を目指したもの」は,ビジネス頑張っている人たちが頭つきあわせて議論するより,缶詰になってプログラミングするより,研究開発から出てくるような気がするんですよね.後発の中国系の企業ですら,冒頭の記事のような長期的な研究に莫大な投資をしていて,主戦場は次の四半期だけじゃなくて,5年後10年後を見据えた研究でもあるのかなと,

翻って,日本のIT業界は,銀行のシステムを作ったりする土方のような企業と,バラエティ番組を一生懸命見ていたような人たちの時間を奪い合うエンタメ系新興企業の2つくらいが大きく分けて頑張っているのかな,という感じがします.前者の方は研究開発なんて最初から知らないと思っているか,最近余裕が無くなってきている印象で,後者はどちらかというとコンテンツやビジネスドリブンで,特に長期的な視野をもった研究はなにそれ?といった印象を受けています.あとはボコボコ大学生の思いつき一発芸みたいなアプリを作って自称「ベンチャー」を名乗っている勢力,という印象.

特に後者のエンタメ系企業は,最近落ち込んできたとは言えども,まだ現金あるし新興勢力なんだから,次の四半期のPLに乗るようなやや受けアプリの開発だけじゃなくて,こういう長期的な視野にたった,5年後10年後くらいの「未来の普通」を目指すようなことをやってもいいんじゃないかな,って思っております.ビジネスやコンテンツドリブンから,技術ありきで,その社会へのインストールをビジネスの人が考えるような世界標準スタイルになってほしいなぁと思います.というかそういうことしないと,日本のIT企業は,アメリカ企業と中国企業が盛り上がっているのを横目に,死に体になるのが待っている気がします.こっちのほうがビジネスインパクトもあるし,ワクワクしませんかね?そんな感じのことをそろそろ大学から企業に行く身として思います.

働き始めたら「研究所立てたい」って言い続けようかな笑.ちなみにColingという自然言語処理の有名な会議が2016年に大阪,SIGIRというGoogleの検索や,最近ならちょっと前のGunosyとかDeNAハッカドールとかのようなリコメンデーションサービスのような情報検索と呼ばれる分野の最も権威のある会議が2017年に東京であります.こういうところのスポンサーになれるような布石を打っていきたいですね.日本で会議して,MicrosoftとかIBMみたいな日本でもプレゼンスのあるグローバルジャイアントと,中国系企業しかスポンサーにいないのは,恥ずかしいなぁと個人的に思っております.

ちなみに,ウェアラブルディバイスのようなものが来たら,VRの実現を志すような,CGとかインタラクション系にも流れがくるのかな,と思っておりますが,そっちの方向で最も権威のあるSiggraphという会議のスポンサーはまだおとなしく,地味にEPSONとかいたりします.補足ですが,この分野はディズニーの研究所とかが実は超強いです.参考まで.こういうの任天堂とかもやってほしかったなぁ.

Slideshareでつまんない発表シェアして内輪で盛り上がってるくらいなら,会議に出せ,って強く思う.

11月:世界の田舎の日本の話

日本は世界の田舎だなぁと思った話.

日本以外の国で世界地図を見ると,日本は必ず右端にある.
そりゃそうで,ヨーロッパを真ん中にした方が,真ん中に多くの情報がくる.
こと日本の存在感が特別ではない国において,日本はただの端っこの国である,と感じている.

多くの国に取って,日本のことなんてどうでもいいというのは事実だろう.
そりゃそうで,日本人がスイスについて知らなかったり,タイについて知らなかったり,ベネズエラについて知らなかったりする.
アメリカ,中国,のようなある種の「特別な国」でもない限り,多くの人の興味を引かない.
そして当然だけど,日本はそういう「全世界的に見て特別な国」ではない.
例としてあげるのも適切か判断しかねるけど,
タイ語について日本人である俺は何もしらないし,アゼルバイジャンについて何もしらない.
フォークランド紛争についても知らないし,ジブラルタルの戦いについても知らない.

日本文化の存在感が特別な国がたまにある.フランスはその好例だろう.
フランスでは漫画が流行っている.日本食レストランもパリの中のそこらじゅうにあった.
フランスはこと日本文化の存在の仕方が特別だな,と思う.

そんないくつかの例外と思われる国はさておいて,スイスはこと日本と関係のない国である.
これには諸原因があると思われるんだけど,これについては関係ないので省略.
まぁ逆もしかりなので,文句も言えない.言うつもりもないのだけど.


そんなスイスで体験した例を一つ挙げてみる.
よく聞かれるのは「日本語ってどうやってPCに入力するのか」という質問だ.
こういう質問はこっちにきて初めてされた.
説明しようにも,相手は日本語について見たこともありません,くらいであることが明らかになる.
日本語を全くもってみたこともありませんくらいの人に説明するのは結構骨が折れる.
そういえば今まで話してきた外国人には「漢字難しいよね」とかいう話をされてきた.
今まで日本のことについて聞かれたときに,ちょっとした前提としてあったのは
「ある程度相手は自分の国のことについて知っている」ということだった.
「日本語の文字にはひらがなとカタカナと漢字があるよね」程度のことはしっているんだなぁすげぇなぁと思っていた.
なんだけど,多くの人は知らない.そりゃそうだ.ここスイスでもそうだ.
で,結局持っている文字の説明からしないといけない.
日本語の文字について今までしたことがなかったからもちろん上手に言えない.
日本語の一番簡単な文字は一つにつき一つの発音を持っていて,必ず母音のみか子音と母音の組み合わせだ…
子音?母音?英語でなんていうんだっけ?
「日本語は中国の文字を持っているんだ」とか言うと,驚かれる.驚かれることに俺が驚く.
そんなんでいろいろ戸惑っているうちに,一番簡単な文字を中国語にもある文字に変換して…という話はしないままこの話は終わる.


ほかにも
修士論文は日本語で書くのか?と聞かれて「そうだ」と答えると残念そうな顔をされる.
インターンシップやったか?と聞かれて「今年の夏日本でやったよ」と答えると残念そうな顔をされる.
(ヨーロッパで探したいなーっていうと,そうだよそれが常識だよ君,のような顔をされる,これ本当)


こういう「世界では日本について知らない人がマジョリティである」というとてもとてもとても簡単な事実は,
日本にいると宿命的に見えないポイントだなぁと思うようになった.
こんな大きな死角があったんだ,と驚いている.
今までいた日本という国が日本に関して特別なところで,いくら日本で外人と交流しようとも,こういう人には出会えない.
当たり前なんだけど.


日本の存在感が薄い.そのことについて危機感を煽っているわけでも,諦観を持つわけでもなく,
そこにはごくごくあたりまえに日本のことについて知らないという事実がある.
そして日本人は思ったよりそのことに無頓着である.
今日も日本で日本についてのニュースが流れているであろう.
ノーベル賞を取った日本人がいれば日本は湧く.
だけど,それ以外のノーベル賞について知っている人がどれくらいいるだろうか?


この間,電車に乗ったらコスタリカ人と日本人のペアに出会った.
彼らはドイツ語の語学学校の知り合いだそうだ.日本人の方はおばさんだった.
簡単なドイツ語と簡単な英語で会話してたんだけど,日本人のほうはアクセントと喋れない時の間の取り方で一発で日本人だとわかった.日本語の本を読んでいたので,話しかけられてちょっとだけ会話に参加した.
コスタリカ人「日本のご飯俺知ってるよ.Sushiとか」
日本人「Sushi!!」(日本のことが話題に出てきて超うれしそう)
俺「Sushiね.アレはおいしい.なんだけど,スイスだと高いよね.特に高い」
日本人「日本ではSushiが100 yenで食べられるんだよ」と,必要以上の母音たっぷりの発音で言う.
コスタリカ人「yenって何だ?まぁ俺は寿司自分で作れるから問題ない」

コスタリカ人は多分寿司についてあまり知らない.日本についてもあまり知らない.
日本人の方は,日本について話題に出てきただけでうれしくなっている.そして自分の国での常識がさも世界の常識であるかのように円についての話題を出す.

平日の昼,電車の中で行われた会話の中に,日本は世界の中で田舎で,日本人は田舎者なのかな,と深く思った.

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後日付記

この話を久々に見て「わざわざこんなことまとめていたのか」と思った.この時期は自分の生まれた国と自分をどう引き離すかを考えていたような痕跡がこの文章から伺える.日本人は田舎者,と否定的なニュアンスを出して,生まれた国での常識なりなんなりを自分の身から切っていくプロセスの一つであったような気がする.一方的に悪く言って悪かった,という気持ちが強い.
少し日本を擁護しておくと,同じようなロジックで,ヨーロッパ人も田舎者である確率が割合高い気がする.例えば,知る範囲ではヨーロッパ人はヨーロッパから出ることがあまりない.さらに,フランス人スペイン人イタリア人の一般階級は,僕の認識する限り,英語を全く話さない.日本語より彼らの言葉のほうがずいぶん英語に近いはずなのに.

10月:Suffering is optional, pain is inevitable.

僕の実感から言って,留学という物に憧れの響き,あるいは実感を伴わない遠い思いを持つ人は少なくないと思う.
いろんな目が向けられる.
行く前に一通り「あーうらやましい」「俺には無理だわ頑張ってね」と一通り言われる.
行ったら行ったで,行った本人は多くの人に「外国で生活する」リアリティとして実感されず,むしろリマインドすらされない.
たまに思い出して.イマジナリーに「あぁあいつは外国で生活しているね.」などと思われたりする.

自分が学部3年生くらいのときに,少なくない友人が世界各地に行っていた.
だけど,僕の普段の生活の中で海外に出ている彼らが思い出されることは極めて稀で(日本にいた疎遠になっている友人とその頻度を比べてもだ),
ごくたまに何かのきっかけがあって思い出すことがあっても,
自分の中の想像,あるいは理想のどんずまりとしてリアリティをともなわず浮かんではすぐ消える.
その思いはセーブなんかされない.


外国での日常は,多くの人の予想に反して(あるいはそんなものは予想もされない),アンチクライマックスの連続である.
ハリウッドの映画みたいに,自分が選ばれし者で,なんらかの大きな向かうべきものが現れ,それをこなしてクライマックスを迎えるーそんなことはどこにも起こらない.


こっちきて一ヶ月弱,思うように生活が進まないことが多い.
なんで日本を一年という短い期間でも出ようと思ったのか,って思うところは結構あった.
わりとそれを毎日点検しないと暮らしていけない.だけど,日々具体的な問題に追われながら一日が終わっていく.

何しに来たんだっけな,という疑問が頭を離れない.思想の欠如,というのが抱えている大きな問題なのかもしれない.


大きな思想,とても大きな「かくあるべし」的な大きなものは持つことを放棄してしまった.
大言壮語を吐くようなことはある段階を超えてやめてしまった.
そんなことより,目の前の問題を扱う方法を覚えよう,そう思った時期があった.
2年生くらいに捨てて,3年生の半ばくらいでこの方法をようやく模索しだしたと覚えている.


目的とその手段に全てを売った.何かをなすことに魂を売った.
その一方で,ものごと全般に対する評価基準みたいな物は,あんまり育っていない.
何をやってきましたかリストはまぁ書ける.(それが評価されないことのほうが多いけど)
なんだけど,一本の糸でつなごうとすると,
前までの「自分の中でまとまりがあったんだけど言葉にできない」から
「さてここから何をいわなきゃいけないんだっけ?なんでこうなったんだっけ?」
になってしまっている.


かくあるべし,的なものが自分の中で定まらないまま,それが型としてできてしまった感がある.
このことが引き起こすもどかしさは,こういう難しい場面において,非常に際立つ.
実は,できていたと思っていた型が,とてもシステムと決まったシンタックス(そしてそんなものは普遍的に存在しないし,しえない)に守られた,やわいものでしかなかったのかもしれない.

Suffering is optional. Pain is inevitable.
普通はこの文を逆に読む.Pain is inevitable, suffering is optional.
なんだけど,ここではこの順で読みたい.
苦しみはあなた次第である.その痛みは避けられない.


外国で暮らすというのは,躁を保つ能力がある人には向いているとは思うけど,この人は一種の病気である.
ごく普通の人間,それはもちろん僕を含む,にとっては想像以上に苦痛である.
ここでは僕は「街にとけ込んでないstranger」の域を出ない.
初めてスタバ,あるいは他のなんでもいいんだけど,に行ったときに,なにしていいかわかんない居心地の悪さみたいなのを,ずっとずっと感じ続けることになる.
そして,やわいシステムとシンタックスに守られて来た物が機能しない.

引き返しても地獄,行っても地獄.
「どうせなら行った方がいいじゃない」というポジティブな考え方じゃなくて,とにかく遮二無二に前に進むしかない感覚.
いつか見晴らしのいい場所に出られることを期待している.
問題は,今自分がいるのが進むべき山道なのかがわからないところなんだけど.
とにかく,海外に出て生活するということを選択した.選択としての苦労である.そしてその苦しみは避けられない.


11月,時間ができるはずなので,日本の仕事と思索にふけることにする.
Suffering is optional, Pain is inevitable.





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後日付記

この文章は,何度も迷ったが,あまり手を加えないことにした.いくらか分かりにくいところがあり,何を事実として捉えて,何を問題意識として捉えているのかが結構弱いなと感じる.だけど,手を加えない.代わりに,後日付記という形で,少し書き足したいと思う.
 当時,来たばかりで,しかも事情があって遅れてきたので,とけ込めず居心地の悪さを必要以上に感じていた.手続きは進まないし,あちこち役所やらにいかないと行けないし,結構大変だったと記憶している.日本を出る前日までやるべきことがあって,間髪入れずにスイスにやってきたので,バーンアウト気味でもあった.日本を出るまで,切羽詰まったことをしていて「何かがおかしい」と思っていた.スイスに来てから冷静になって考え直す時間を取っていたのだけど,結局新しい環境というのに負けて,どこにも向かえず混乱の日々であったのがこの時期の思い出である.この後遺症は実は今でも引きずっている気がする.
 この混乱が,如実に文章に出てるなぁと思った.当時書いていたときは,もっと錯乱していて,どこのポイントに向かうべきかわからず,4,5回この文章を書き直した気がする.保存しているテキストに下には,たくさんのちりじりばらばらのボツ原稿がならんでいる.やっとの思いで一つの筋を作った痕跡があちこちに残っている.
 それでも言葉が足りずに,少し混沌としているなと今の時点から感じる.手を加えてもう少し説明を加えて,整理して,物事に秩序をつけてもよかった.しかし,この舌足らずさが来たばかりの時に書いた雰囲気があるなと感じたので,そのまま残す事にした.当時よりは外国で暮らす事における物事に対するセンサーというべきものも発達したであろうし(この文章を読み返して確信した),文章に起こすということもそれなりにもう少し意図的にできるようになった気がする.だけど,当時の僕が思っていた事に関して,今の僕が多少は持ち合わせた能力をもって手をかしたところで,この文章の持っている価値が全くなくなると思った.この文章の価値は,来て最初の月であったというタイムスタンプと,その錯乱具合である.錯乱しながら,何かを問題だと思いつつ,物事を捉えられなかったのが「10月」であったと感じている.

外国見聞録と視点の話

スイスに住み始めてから,一貫して真面目にしているほぼ唯一の事と言えば「滞在記」的なことをまとめることである.スイスに暮らすという事を通じて,自分の目の前に起こった事だったり,ニュースであったりなど,物事をきちんと考えてまとめることを月一,二回くらいのペースでやることを主としている.乱暴に言ってしまえば,いろんな国に対して自分なりの偏見を深めてまとめる,ということを真面目にやっているような気がする.○○という国は△△で…というような構文でものごとを考える事が多い.

 この月一でまとめている事を,いくばくかの期間を置いて,気が向いたら公開していきたいな,と考えるようになった.テーマは多岐に亘っていて,最初の月は,スイスにきて路頭に迷っている様を書いた.ある月は,文化比較みたいなのを書いている.これらを公開する前に,「滞在記」的なことをまとめる際についての,もっといえば,異国の地(というと少々大仰だけど)で暮らしていく際についての視点の持ち方について紹介したい.

 海外旅行ばかりして海外を知った感じになった人に向けられた批判として「旅行だけじゃ何もわからない」というのがよくある.観光地やら世界遺産やらを見て,英語で適当に喋ったところで,その国について何かを知れると思うのもおこがましい,という説教である.だけど,外国で暮らしていて思うのは,その国に住んだところで,住んでいるなりの死角が存在する.暮らしていても決してすべてが分かるわけではない.旅行であれば気付けたことであろうことが,暮らしているからこそ分からない事も多い.僕が住んでいるスイスの事について,スイス以外の国に出かけて初めて気付く事も様々ある.

 さらに言えば,自分が生まれて,暮らしてきて,何かアイデンティティを感じている国(僕の場合,日本)だって,死角が存在するし,十全に理解しているとはとても言えない.よく日本人は,外国に行くと「日本では…」といいたがる人が多いのだそうだが(確かにそう思う),日本に生まれついたことは,日本を知っているということを全く意味しない.日本に住んでいるからこそ見落とすことがたくさんある.(これらはいくつか思うところを文章としてすでにまとめているので,いつか紹介したい.)だいいち,生まれて,さらに育った国で暮らしていれば,その国について考えなくても良いわけだし,普通に考えれば,その国について「知る」機会なんてあまりない.そして,そんなことを考えなくてもよいことは,大きなメリットの一つだし,さらにいえば,周りも同じような人に囲まれて暮らしている事は,かなり大きなメリットである.

 要するに言える事は,旅行であれ,暮らす事であれ,ネイティブであれ,どのポジションにも視点が存在し,死角が存在する.

 そういう真実をふまえた上で「滞在記」的なフォーマットでものを考えるとき,大事な問題は「自分が持っている視点と真剣に,柔軟にかかわりあえること」であると村上春樹が書いている.僕がスイスにいる間に少なくとも考えたいと思っている事は,この言葉が大体説明している.僕が説明するよりこの言葉が出てきた文脈をまるまる引用させてほしい.というか上の文章も結局この引用の焼き直しである.

 僕はこの本を書く前にも,旅行記というか滞在記のようなものを一度出した事がある.「遠い太鼓」というのがそれで,僕はその本の中で約三年に亘るヨーロッパ滞在についての文章を書いた.でも今考えてみると,そこに収められている文章の多くは「第一印象」或いはせいぜい「第二印象」程度で成立していた.僕はずいぶん長くそこに滞在していたわけだが,結局のところは,通り過ぎていく旅行者の目でまわりの世界を眺めていたように思う.それがいいとか悪いとか言うのではない.通り過ぎるに人に通り過ぎる人の視点があり,そこに腰を据えている人には腰をすえている人の視点がある.どちらにもメリットがあり,死角がある.かならずしも,第一印象でものを書くのが浅薄で,長く暮らしてじっくりものを見た人の視点が深く正しいとはならない.そこに根を下ろしているだけ,かえって見えないものだってある.どれだけ自分の視点と真剣に,あるいは柔軟にかかわりあえるか,それがこういう文章にとって一番重要な問題であると僕は思う.
「やがて哀しき外国語」のためのあとがき やがて哀しき外国語

 この「やがて哀しき外国語」は,村上春樹アメリカでの滞在を文章にまとめたものである.この後に続く文章は,「遠い太鼓」という前作の3年にわたるヨーロッパ滞在記とは意を異にし,この本では第二印象から第三印象くらいで文章をまとめてみた,という趣旨の文章が続く.ちなみにこのあとがきは外国で暮らしたことがある人にとって,切実に響くものなので,似たような立場にある人・あった人にはぜひ読んでほしい.

 さて,僕が考えをまとめているようなことも,第二印象から第三印象くらいにしたいと努力している.前にも書いたように(文章の出来が悪くて悶絶している),外国に住むという選択をしたのは,海外旅行に限界を感じていたからである(他にもあるし,これじゃ奨学金は取れない).手前味噌ではないが,この予感はかなり当たっていた.いくらもっと海外旅行に出かけても,同じ印象の再生産で,これ以上やっても視点が深まる気がしなかった.それもそのはずで,上の言葉を借りれば,自分が「第一印象」でものを考えていたことと「柔軟に」かかわり合えなかったからなんだなぁと思うようになった.アテネにいってもパリにいってもアンタナナリボに行っても,感じる事は少々違えど,考えるプロセスとして似ていたものがあったように思えて,いつも同じようなところで行き止まりになって日本に戻ってきた印象があった.外国で暮らすという事を通じて,少し別の視座を手に入れて,自分の視点と真剣に柔軟にかかわり合おうとする事で物事を考える新しい道具を手に入れた気がしているし,そういう態度で考えをまとめようと努力している.

 別に「外国で暮らすこと」の視点の持ち方が優れている,ということを主張したいわけではない.この視点が他人と自分を区別するものである,ということを言いたいわけでもない.ただ単に,そういうことをしてみたくなったというだけである.そういう視点を持って暮らしてみよう,と思っただけである.そして今のところ,この視座を気に入っている.正直なところ,きつい事が多くて,はっきり言えば,挫折しかないから歪んだものになっていることも否定できない.これからいくつか考えをまとめたりするものは,そういう視点に立ったものであるということを理解してくれればありがたい.

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

モロッコに行きたい人のための一般的な情報

2012年12月20日から12月27日までモロッコに行ってきました.
何を見に行った,とかはともかくとして,「ガイドブックに載ってないんだけど,自分の手で掴みたいわけでもない情報」をまとめておこうと思います.

行程は
タンジェ→マラケシュエッサウィラ(日帰り)→マラケシュから砂漠ツアー→フェズ→タンジェ
で一週間でした.

なお,以下のことを記しました.

0.概論
i.魅力
ii.どうやっていくのか
iii.ガイドブック
1.お金・相場・物価
i.ディルハム
ii.ユーロなどの外貨
2.言葉
3.交通
•長距離
i.バス
ii.電車
iii.グランタクシー
•短距離
i.タクシーなど
4.ガイド
5.感染症


0.概論
ロッコはどういう国なのか,どうやったらいけるのか,というお話を簡単にします.

i.魅力
ロッコの魅力は
・日本人からすれば異文化とも言えるアラブ圏であること
・砂漠などの観光資源が豊富であること
・冬は比較的あったかいこと
などが挙げられます.

かなり型にはまった観光地中の観光地とも言えるところで,何が見せ物なのかをみんなある程度知っている感じがします.行ったらそれなりに楽しいと思われます.
多くの日本人が訪れるらしく,街を歩いていると「コンニチハ」と話しかけられます.旅行でなかよくなった中国人も韓国人も同じこと言っていたので,日本人が多いのでしょう.

その分,開発されきっているのか,観光客を見るとだいたい金の話になる印象が若干しました.その辺ちょっとすれてるのかな,とも思います.

ii.どうやっていくのか
この当時(執筆現在今もだけど)筆者はヨーロッパで在外邦人をしているので,日本からどう行くのかは分かりかねます.

友人と僕が使った手段は,フランスにあるParis-Beauvais空港という,日本で言う茨城空港みたいな空港から,モロッコの一番北であるTangerという街に出ました.
Ryanairという航空会社を使って,往復で130ユーロでした.
(復路はすでにヨーロッパのバカンスシーズンに入っていたので高めでしたが,時期をずらせば80ユーロくらいになるはず)


つまり,ヨーロッパのついでに行く,というオプションもあるんじゃないかな,と思いました.


iii. ガイドブック
僕らはLonely Planetを使ってモロッコを回りました.
大概の情報は正確だと感じました.

あと,ガイドブックとしてはあまり役に立たないけれど,こういうところ見たいなぁというのに役に立ったのがfotopediaでした.

1.お金
ロッコでの通貨のお話をします.
i.ディルハム(DH)
ロッコの現地通貨です.1DHで10円強くらいで計算して間違いないと思います.現地通貨さえ持っていれば,大丈夫という感じはしました.
物価としては
街中タクシー 20DH
水 7DH
歯ブラシ 20DH
普通の飯 30-50DH
宿(リヤドと呼ばれる伝統的な宿泊施設)120-150DH
物価は日本の半額から4割くらいだと思っていれば間に合っていたように思います.ただし日本でもリゾート地で缶ジュースが200円したりするのと同様に,一部観光客向けに多くとっている店が存在します.砂漠ツアーに行ったとき(後述)は,店の選択肢がなく,独占市場で飯が80DHなどの価格設定がなされていました.


基本的にモロッコの特に旧市街では,交渉で値段が決まります.
メディナなどの露天ばかりがあるところでは,客引きがこれでもか,とよってきます.そして自動的に交渉に巻き込まれます.買う気がないなら,断るといいと思います.last priceと抜かしても,「考えるわ」というともっと値下がったりします.しつこい客引きもいるので,その時は大声で怒鳴るとおとなしく消えます.欲しいものが無い限り,あんまりものを買う気が起きないなぁというのが正直な感想です.

また,宿ですが,これも交渉次第で安くなります.だいたい吹っかけられるので,半額くらいで言ってみるのがいいと思います.


ii.ユーロ(EUR)
ユーロは,一部宿泊施設で使えました.ですが,あんまりユーロしかもっていないというのは身軽のように思えませんでした.街のそこら中に両替施設があるので,そこで両替することをお勧めします.

2.言葉
ロッコの街にいる人たちはみんなアラビア語を話します.第一外国語として旧宗主国フランスの言葉であるフランス語を話します.この二つのどちらかができれば,特に苦労する事なく旅行できると思います.
砂漠地域に行くと,ベルベル語という固有の言語を話している人たちがいますが,特に旅行者が接する範囲では,砂漠地域に単身直接乗り込むのでない限り,上記2つの言語で足りると思われます.
タンジェなど北に行くと,フランス語を理解しない人たちが出てきます.その代わりに彼らはスペイン語を話します.北に行かれる方で,フランス語しかできない人は北に行くと少し苦労するかもしれません.

英語は思ったより通じません.その割に商魂逞しいので,英語による意思疎通は「簡単な言葉で,はっきりと」したほうがいいと思われます.
庶民は英語を全く理解しません.フランス語はちょっとわかるみたいです.

簡単な日本語の言葉を知っている人が多いです.ですが,まったく使い物にならないので,お話のスパイスくらいにしかなりません.

3.交通
ロッコ国内の交通の話をします.
•長距離
ロッコ国内は,少なくとも北の範囲はよく開発されているので,道がダートだとかそういうことはあまりおこりません.なので,バスでの移動が現実的だと思います.
i.バス
かなり安くバスで長距離移動できます.また,バスもバスという名のワゴンということもなく,水準としては東欧地域や日本の深夜バスくらいはありました.
マラケシュエッサウィラ間40DH(移動時間3時間くらい)
フェズタンジェ間100DH(移動時間6時間くらい)
でしたが,快適でした.
ちなみに油断すると休憩中に置いてかれるので注意が必要です.

ii.電車
ロッコ国内は電車も通っていますが,バスに比べて機動性がいいとは言えません.
僕らが乗ったのは夜行列車で
タンジェマラケシュ間350DH(10時間くらい)
でした.
夜行列車はGoogleで検索すると一件目に強盗が出た話があって,僕らは結構びくびくしていたのですが,
幸いなことにそういうことはおこりそうもなく,家族連れや女性旅もいるくらいでしたので,普通の警戒レベルでいいとおもいます.

iii.グランタクシー
これはくせ者なので注意が必要です.「大きいタクシー」という意味で,長距離用のタクシーはだいたいこういう名前がついています.チャーターしてバスがないところでも自分で行き先を言えるのがいいところです.
ロンリープラネットなどを見ると「6人まで乗れる」と書いてあったのですが,
普通の乗用車です. 助手席に2人,後ろに4人乗る事を想定しています.
つまり4人以上で乗ると吐き気がします.
僕らが乗った時は5人で乗って,僕はダウンしてしまいました.
値段は
ザゴラフェズ間1200DH(5人で割りました,移動時間9時間)
で,バスよりちょっと割り増しくらいなのですが,とにかく4人で乗る事をお勧めします.


•短距離
街中の移動手段は大体がタクシーです.
マラケシュ20DH
エッサウィラ7DH
タンジェ30DH
くらいであったと記憶しています.

4.ガイド・ツアー
ロッコのガイドやツアーの話をまとめます.
メディナ
メディナという旧市街は,迷路のように入り組んでいます.どこに何があるのかGoogle mapsですら心もとないです.
そこで,案内するよ,という人が寄ってきます.この人たちは「俺親切にするのが好きなんだ」とたとえ最初に言ったとしても必ずお金をとってきます.僕らはそれで200DH請求され殴り合い寸前までいきました.
どうやら免許制の街もあるそうです(フェズやマラケシュはそうだったように記憶しています)
ですが,メディナ案内するよ,といい寄ってくる人たちはだいたい無免許です.その分安いはずで,交渉しきれば30DHとかでやってくれるはずだと思います.
問題なのは,最初に何も決めない事です.ぼくらみたいな事件が起こります.
免許制の人たちは100DHとかでやってくれるそうです.中身は分からないのですが,知り合った韓国人は案内してもらっていました.多分普通に満足できるクオリティであるものだと思います.
(僕はフランス語ができる友人と行ったので,情報に関する金銭感覚が全く違い,こういうものはあんまり雇いませんでした.一人だったら雇っていたと思います.)


・ツアー
ロッコに行った人間が必ず行くのが砂漠ツアーです.これもマラケシュなどを歩いているととにかく言い寄ってきます.
フェズからも出ているそうですが,そういう客引きには会いませんでした.むしろ,マラケシュから出るのが一般的のようです.
マラケシュから出て,アルジェリア国境沿いのサハラ砂漠まで行きます.(なお,モロッコアルジェリア間は陸路の国境を封鎖しているので,安全です.)

僕らはサハラエクスペディションという会社のツアーに参加しました.フナ広場と呼ばれるとにかく広い広場のそばにあります.客引きも寄ってくるのですぐわかると思います.

2泊3日で800DHでした.普通は900DHから1000DHするらしいので,交渉すればそれくらいになる事が可能だということです.

中身としては,
1日目:アイトベンバッフゥという世界遺産の街を訪れ,ワルザザードという映画のロケ地が集う街に行く
2日目:サハラ砂漠まで入って,らくだに乗って砂漠内でキャンプファイヤーして泊まる.
3日目:帰る
という感じでした.帰る途中でフェズに出る事も可能です.


5.感染症
最後に,感染症のリスクについてお話したいと思います.
特にマラリアが流行っているわけでもないのですが,食が合わないと当たるくらいです.僕と友人は「ケフタ」という独特の臭みがあるひき肉が口に合わず,僕は腹を下してしまいました.
それ以外は特にリスクに感じませんでした.

さっと書いてしまいましたが,以上です.

Lonely Planet Morocco (Travel Guide) (English Edition)

Lonely Planet Morocco (Travel Guide) (English Edition)

なんで留学するんですか?

私事ですが,1年ほど,チューリッヒに出ることになりました.
俗に言う「留学」です.
所属する研究科の制度でちょろっと向こうの大学院に行くことになりました.


で,このごろ「なんで行くんですか?」「何しに行くんですか?」と聞かれる機会が多い.
だいたい毎回同じことを答えているし,質問されてもぶれなくなったので,
ここにまとめておこうかなと思うようになった.

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学位を取得する人より,こういう制度を使っていくひとほど,
何か気概を語ってから行く傾向にある気がしている.
様々な人の思惑や,羨望や,破壊欲求や,偏好の目を向けられる「留学」というパッケージ.
学位取得目的より比較的実現しやすい「留学」だからか,
よく言えば「野心にあふれている」悪く言えば「イメージ先行の精神論」的な気概を語るのかもしれない.


まずはこの言葉を忘れたい.いろんな人が,いろんな思いをこの言葉に勝手に抱いている.
それゆえか,少なくとも何をしにいくかを答える際にこの言葉を出すと,何も伝わらない.


僕はかなり意識してこの言葉をさけている.
自分がしにいくことが,かつて憧憬していたこの言葉とは全く違うものだから.
なお,かつて自分が憧憬していたものなんて存在しないと今は考えている.

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なんでしにいくんですか,と聞かれたら,答えは簡単明瞭.
奨学金の書類に書くように理論武装をして答えることもできる.
でも,もっとシンプルにすると「(海外)旅行に限界を感じたから.」


結果的に一番僕の背中を押したのは,マダガスカルに旅行として行ったことだった.
偶然が重なって,観光というビジネスから離れた普通の人々の暮らしを見る機会が多かった.
そして,この経験を超える旅行を今後できるか自分に自信がなかった.


例えば,地方都市から首都に戻る飛行機のブッキングができず,庶民と同じ足を使って移動することになった.
これは道ですか?と聞きたくなるような劣悪な道.
そこで見たものは,新興国の普通のド田舎だった.観光地のかけらもない.
きわめて普通な,ド田舎.外国人が降り立つと,みんな群がる.カメラを出すと,さらに騒ぎだす.
でも,みんな若干栄養失調風.かといって,ぐだっとしているわけでもない.そんな普通のド田舎.


ほかには,バオバブで有名なモロンダバでガイドを雇った.
このガイドのおかげで,地方の保健所を見て回ったり,小学校を見て回ったり,普通の農民と話をしたりと,かなりいろんなことができた.


さらに,首都で知り合った女の子のおかげで,
マダガスカルの大学生という生活の実態を知ることができた.
マラリアの実態を知るべく,フランスの感染症出先機関まで連れて行ってくれた.
さらに,政府高官を兄に持っており,この兄からもいろんな話を聞くことができた.
最後に訪れた,日本語学校の学生さんたちのおかげで,
日本がマダガスカルからどんなふうに見られているのかがわかった.


これらの経験は,相当僕の中で糧になっている.
だが,果たして,次旅行に行ったときに,これを超える経験ができるのか.
これ以上に,そこにいる人の考え方や暮らしを感じることができるのだろうか.
同じ状態で,何をすればこれを超えられるのかが僕には見当がつかなかった.
何かを抜本的に変えないと,自分が獲得できる世界がこのまま変わらないと思った.
そういうものを感じる基礎体力をつける,文化・歴史観・社会を肌で感じる,
その中で自分の能力で生きていくというのをやりたくなった.
そんなところに,大学院の進学も決まった後だったので,学位留学じゃなくてこの制度を使うことにした.


というのが話の大枠.
「旅行に飽きたから」っていつも笑いながら言ってるんだけど,
これは上記のような感じで心のそこから思っている.
しかも,あきれられてか,ツッコミも来ないから放っておいている.


キャリアの一環のような文脈出てくることが多い「留学」という言葉.
語学の面もそうだし,専門を深める,なんて言う人も言う.
なんだけど,あんまり自分の中で,
今回の「コレ」はそんな感じじゃないかな,という所感を持っている.
だから,明確にこの言葉を自分の中で避けている.
今回のこの行為は,そういう言葉じゃうまく説明できず,
どちらかというと,マダガスカルで感じたものを言葉にしていくほうが近いから.
余談だが,友人たちから「帰ってこないんじゃないか」と言われるけど,
いまこうして整理してみてその理由が初めてわかった気がする笑.


ほかのことは日本でもできる.専門を深めるのだって,日本のほうが多分早い.
専門は全く人文科学ではなくて,もっと普遍的なものを追う感じの学問分野なんだけど.
幸いなことに,日本では今いろんなことが結びついたのか,
いろんなチャンスがやってくることが多い.
なんだけど,自分の中に感じているこの限界は,
ほかの何より今この時点で突破したいという気持ちが強い.
この気持ちが最近確信に変わったんだけど,この話はまた今度.

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そういえば,昔,留学をめぐる議論なんていう備忘録をつけていたのを思い出した.
この議論の山だったfor what for whomは,別のところでかなり実践してきた.
この考え方は,自分の中にとりあえずインストールできたかな,と思っている.
何かするにあたって,いつも話の基準が「自分が」だったこの頃に比べれば,格段に改善したと思っている.
かつてそういう話で盛り上がっていた人と共通言語をなくしたのはそれはそれで損失なのかもしれないけど.


結局今回自分がする行為が,
ここに書いて,さらに否定してある「旅行」の延長なのか,という疑念も湧かなくもないが,
これを書いた大学3年の自分が攻撃対象にしようとしてたものはクリアできていそう,
というのがなんとなく手応えでわかる笑.(まぁ同じ自分なんだし,そういう納得観がないと行かないだろうな笑)
で,この頃より,問題意識と大局観と生きていく術くらいは持ち合わせていると自信を持てている笑.